[ファイトクラブ]伝説のヒットマン、阿修羅・原の原点! 龍原砲結成の秘話

[週刊ファイト5月3日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼伝説のヒットマン、阿修羅・原の原点! 龍原砲結成の秘話
 by 安威川敏樹
・国際プロレス崩壊……、そして運命の男・天龍源一郎と出会う
・日本テレビ『11PM』の生放送中にブチまけた、天龍への挑戦状
・龍原砲の誕生前夜、大分でのUN戦
・人気ドラマ『スクール☆ウォーズ』に登場した、龍原砲の原点
・ハンセンは言った「ハラは、私の相手としては完璧だった」


 2015年4月28日、一人のヒットマンがこの世を去った。阿修羅・原である。享年68歳だった。
 ここ最近では訃報記事や亡くなった人の記事ばかり書いているような気がするので、あまり気が進まないのだが、やはり3年前に天国へ旅立った阿修羅・原の追悼記事は書かねばなるまい。

 さすらいのヒットマンと呼ばれたように、常に流浪のプロレス人生だった。阿修羅・原はどこからやって来て、どこへ去ろうとしていたのだろうか。

▼2015年4月28日、阿修羅・原の訃報を伝える本誌記事

阿修羅・原さんがお亡くなりになりました~享年68歳

国際プロレス崩壊……、そして運命の男・天龍源一郎と出会う

 1981年8月、国際プロレスは崩壊した。国際プロレスのホープとして期待されていた阿修羅・原は、路頭に迷うこととなったのである。
 当時の男子プロレスは3団体時代。つまり、国際プロレスが崩壊したことによって2団体時代となった。残った2団体とは、ジャイアント馬場の全日本プロレスとアントニオ猪木の新日本プロレスである。

 国際プロレスのエースだったラッシャー木村は、アニマル浜口と寺西勇を引き連れて新日本プロレスに合流。阿修羅・原は、マイティ井上らと共に全日本プロレスのリングに上がることとなった。

 ところが、阿修羅・原にとって無視できない男が、全日本プロレスの中にいた。天龍源一郎である。阿修羅・原はいきなり、天龍に噛み付いた。

「団体が違うだけで、なんでこんな差を付けられなきゃいけないんだ!」

 当時の天龍はジャイアント馬場、ジャンボ鶴田に次ぐ『全日本プロレス第三の男』と呼ばれていた。そして世界最高峰とされていた、リック・フレアーが保持するNWA世界ヘビー級王座に挑戦することが決まっていたのである。『家なき子』の阿修羅・原とは雲泥の差だった。

 1981年10月2日、東京・後楽園ホールで阿修羅・原vs.天龍源一郎が実現した。阿修羅・原にとって全日本プロレス・デビュー戦である。
 60分1本勝負、13分28秒で両者リングアウトの引き分け。この試合が認められ、阿修羅・原は正式に全日本プロレス入団となった。

 この年の暮れの世界最強タッグ決定リーグ戦では、阿修羅・原は天龍とタッグを組んで出場している。つまり、この時点で既に『龍原砲』は結成されていたのだ。

▼阿修羅・原にとって運命の男・天龍源一郎は全日本プロレス・デビュー戦の相手だった

日本テレビ『11PM』の生放送中にブチまけた、天龍への挑戦状

 しかし、この時点ではまだ龍原砲が誕生したとは言い難かった。当時の全日本プロレスでの日本人最強タッグはジャイアント馬場&ジャンボ鶴田の『師弟コンビ』。天龍&原なんてタッグの目玉にもならなかったのである。

 しかも、馬場はタイトル戦線から離脱することになり、ジャンボ鶴田&天龍源一郎の『鶴龍コンビ』が全日本プロレスの新たな顔となった。天龍が鶴田の“正妻”になったため、阿修羅・原は弾き飛ばされる形になったのである。
 所詮、俺は外様か……。そんな思いが阿修羅・原の中にあったのだろうか。1984年10月、阿修羅・原は突如、姿を消した。自ら手掛けた興行のトラブルが原因とも言われている。

 そんな阿修羅・原が全日本プロレスに舞い戻って来たのは、翌1985年4月のことだった。当時、新日本プロレスを離脱した長州力率いるジャパンプロレスが全日本プロレスのリングに上がり、その長州を阿修羅・原が突然現れて襲撃したのである。

 4月24日の横浜文化体育館、阿修羅・原は天龍と組んで、長州力&アニマル浜口とのタッグ・マッチに挑んだ。ところが、試合開始前に長州&浜口の猛攻を受けた阿修羅・原は、なぜか天龍に襲い掛かり仲間割れ。天龍との再タッグ結成は実現しなかった。

 この件に関して日本テレビの人気番組『11PM』に天龍が生出演、すると阿修羅・原も別のスタジオにやって来て、天龍への思いをテレビ・カメラの前でぶちまけた。

「俺は天龍とタッグを組むよりも、闘いたいんだ! 勝ち負けは関係ない! 熱く燃えられればいいんだ!!」

 この阿修羅・原の熱いメッセージに対し、天龍は黙ったままだった。

▼日本テレビ『11PM』の中で、天龍への熱い思いを語る原と、沈黙したままの天龍

YouTubeキャプチャー画像より

龍原砲の誕生前夜、大分でのUN戦

 1987年、長州ら大多数のジャパンプロレス勢は新日本プロレスへUターン、天龍はライバルを失ってしまった。当時の全日本プロレスはぬるま湯体質と言われ、ジャパンプロレス勢がやって来たときには激しく燃え上がるプロレスが行われたものの、長州らがいなくなれば元の木阿弥となったのだ。

 このままでは、ぬるま湯の全日本プロレスに戻ってしまう……。天龍はそう危惧を抱いていた。そんな天龍の心情を敏感に見抜いていたのが阿修羅・原だったのである。

「源ちゃん、何かやる気だったら、俺も一緒にやるよ」

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