ケン・片谷『メシとワセダと時々プロレス』㉓3つの母校と先輩、そして意外な後輩とは?[ファイトクラブ]カシン 徳田光輝 ポーゴ他

[週刊ファイト12月21日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼ケン・片谷『メシとワセダと時々プロレス』㉓
 3つの母校と先輩、そして意外な後輩とは?
・早稲田:吉原功、ケンドーカシン、マッスル坂井、篠瀬三十七
・東洋大学:阿修羅原、死神、徳田光輝
・え? ミスターポーゴは後輩!


12月も半ばとなり、早いもので今年も残りわずかとなりました。
鬼が笑うかもしれませんが、お正月の楽しみといえばやっぱり箱根駅伝ですね!

横浜の実家が、コースとなる国道1号線に近かったことから、子どもの頃から毎年戸塚中継所近くの沿道で応援していました。
今でこそ全国ネットでテレビ中継されている箱根駅伝ですが、以前はラジオ中継だけでした。正月早々家族で食い入るようにラジオに耳を傾け、先頭ランナーが横浜駅を通過し、保土ヶ谷の権太坂付近に差し掛かると、「さぁ、行くぞ!」という父親の掛け声とともに沿道へ向け出発するのです。もちろんワンセグなどありませんから、ポータブルラジオ片手にランナーが来るのを今か今かと寒さに耐えながら待っていたものです。

来年1月2日の開催まで一か月を切り、出場する各大学は、正月返上で最後の追い込みに入る時期だと思います。
そんな中、東洋大学で箱根駅伝の壮行会が開かれ、OBの一人として参加してきました。
そう、何を隠そう東洋大学はオイラが最初に卒業した大学なのです!
当時オイラはレスリング部に所属していましたが、同じ体育会の陸上部の活躍は気になるところです。現4年生の桐生祥秀選手が、100メートル走で日本人初となる9秒台を記録したのは記憶に新しいところ。意気上がる陸上部ですから、当然駅伝でも大きな期待が掛かります。

オイラの在学中から東洋大学は箱根駅伝の常連校でしたが、当時はそれほど強くはなく、毎年シード権を獲得できれば良い方。シード権内に入れなくても、何とか予選を勝ち抜いて出場を果たす、といったポジションでした。
ところが2009年、“山の神”こと柏原竜二の登場により一時代を築き、それにより一気に強豪校の仲間入りを果たしたのです。
ここ数年は、青山学院大学の時代が続いていますが、来年は一矢報いることができるでしょうか?
当然、早稲田大学も久しぶりの優勝を虎視眈々と狙っています。“二つの母校”が優勝を狙える位置にいる箱根駅伝。オイラにとっては年頭の一大イベントとなります!

スポーツの強豪で知られる早稲田大学と東洋大学の両校ですから、当然プロレスラーも多数輩出しています。
それではここで、オイラと同じ大学出身のプロレスラーを紹介することにしましょう。

まず、早稲田大学ですが、古くは国際プロレスの社長として知られる吉原功先輩。早稲田大学レスリング部時代は、“早大の星”と呼ばれていたそうです。残念ながら、現役時代の姿は存じ上げませんが、国際プロレス社長時代のご活躍はよく覚えています。非常に先見の目があった方で、モンスター・ロシモフ(のちのアンドレ・ザ・ジャイアント)やビル・ロビンソン、バーン・ガニア、リック・フレアーなど、日本で活躍した外国人レスラーの多くは初来日が国際プロレスのリングでした。また、金網デスマッチを初めて日本に持ち込んだのも国際プロレスといわれています。前にもお話しましたが、オイラは国際プロレスのファンでしたので、国際プロレス崩壊後も吉原先輩が新日本プロレスのフロント入りされたのはとても嬉しいニュースでした。しかし残念なことに、その後まもなく55歳という若さで亡くなっています。

お次は、ケンドー・カシンこと石澤常光先輩です。石澤先輩は、オイラと同じ人間科学部の出身ですから、直属の先輩ということになります。東洋大在学時は1学年先輩でした。一度、ゆっくりお話しさせていただく機会があったのですが、同時期にお互いレスリング部に所属していたこともあり共通の知り合いも多く、そんな話で盛り上がったことを覚えています。また、石澤先輩は早稲田大学大学院まで進まれますが、現在はなんと早稲田のライバル校である慶應義塾大学で講師に就任するという暴挙…いやいや(笑)、その破天荒ぶりはリング上と変わらないようですね。

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