[ファイトクラブ]力道山 四人の妻と 警察と

wikiより

[週刊ファイト12月21日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼力道山 四人の妻と 警察と
 by 安威川敏樹
・虚構に包まれた力道山の出生
・力道山、朝鮮で最初の結婚
・2人目の妻は芸妓、百田兄弟の母親
・日本敗戦と朝鮮戦争
・最後の年貢納め、4人目の妻


 1941年12月8日、旧・日本海軍の航空隊がアメリカ合衆国ハワイ州の真珠湾を奇襲、大日本帝国はアメリカやイギリスの連合軍に宣戦布告して太平洋戦争が始まった。

 それから22年後の1963年12月8日、プロレスラーの力道山光浩が暴力団・大日本興業の社員だった村田勝志に登山ナイフで刺される。
 力道山は山王病院に入院、手術は成功してあとは回復を待つのみだったが、容態が急変した。

 不死身の肉体への過信が出て、手術後は医師の許可がでるまで絶対禁止の水分を力道山はとってしまう! 見舞客の持ってきた寿司までたいらげたとの説もある。
「せ……先生ッ、なんたる無茶を!」
 付き人のアントニオ猪木が気付いた時にはもう遅く、力道山は病状が悪化して12月15日に息を引き取った。享年39歳。力道山は短すぎて波乱すぎる一生を突如終えた。

 というのは漫画『プロレススーパースター列伝(原作:梶原一騎、作画:原田久仁信)』で描かれていた場面だが、実際の死因は謎に包まれており、様々な説がある。なお、力道山を刺した村田勝志には殺人罪は適用されず、傷害致死で懲役7年の実刑を受けた。

 誤解を恐れずに言えば、警察沙汰により生涯を閉じたのは、力道山らしい人生の終わり方だったと言えよう。力道山の人生は事実上、警察によって始まったのだ。

虚構に包まれた力道山の出生
 公式資料によれば、力道山は1924年11月14日生まれ、長崎県大村市出身となっている。農家の百田巳之助・たつの長男で、本名は百田光浩という。大村第二小学校を卒業し、大相撲の二所ノ関部屋に入門した。

 小学生時代の力道山はケンカが強く、10人もの上級生を1人でノシてしまったという武勇伝がある。また五年生のときには100mを13秒0で走る俊足だったという。
 同級生の女子の話によると、当時の力道山は正義感が強く、「光っちゃん(力道山のこと)がイジメっ子に対して『弱い者イジメするな!』と向かっていったのが、昨日のことのように思い出されます」という証言がプロレス雑誌で紹介されていた。

 ところが、大村第二小学校なる学校は存在せず、戦時中に大村町第二国民学校はあったが(後の西大村小学校)、そこに百田光浩という男子児童は在籍していなかった。つまり、大村第二小学校卒業というのは真っ赤な大ウソだったことになる。
 だとしたら、力道山のことを「光っちゃん」と呼んでいた同級生の女子は何者だったのだろう?普通に考えられるのは、プロレス雑誌によるデッチ上げである。

 現在では、力道山は当時日本の統治下にあった朝鮮半島の出身だったことは誰でも知っている。力道山の現役時代から「在日朝鮮人じゃないか」と噂されていたり、力道山本人は晩年に「日本人と朝鮮人のハーフだ」と親しい人に言ったりしていた。

 しかし実際には、力道山は生まれも育ちも生粋の朝鮮人であり、なんと朝鮮では結婚までしていたのである。だが、日本の国技の相撲ではその出生が隠され、さらに『日本の星』として外国人レスラーを空手チョップでなぎ倒すプロレスラーに転向してからは、朝鮮出身であることは徹底的に秘匿された。
 やはり『日本の星』が朝鮮人では具合が悪かったのである。前述のプロレス雑誌にも、それが反映されている。

 それでは、力道山はどういう経緯で朝鮮から日本に渡ってきたのだろうか。

▼シャープ兄弟に空手チョップをふるう『日本の星』力道山

YouTubeキャプチャー画像より https://www.youtube.com/watch?v=HXIUoH8a8A8

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