[週刊ファイト11月30日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル 第24回
全日入りしたJ・鶴田がまず馬場から言われたことは…
旧・全日プロと旧・新日プロを比較した場合、練習、新弟子へのしつけともに新日プロのほうが圧倒的に厳しかった。それはジャイアント馬場とアントニオ猪木のプロレスに対する姿勢および性格の違いのせいだが、傘下選手から恐れられたのは馬場も同じだった。その馬場が一番重視したのは良好な上下関係を作ることである。
私が『週刊ファイト』(新大阪新聞社)の正社員として初めて出張に行かせてもらったのは1977年2月。ミル・マスカラス、ビル・ロビンソン、ディック・スレーターらが参加した全日本プロレス『エキサイト・シリーズ』の都城大会だった。
当時から出張はTVマッチかタイトルマッチが組まれる興行に限られていたが、この時の都城大会は両方ともなし。じゃあ、何の取材目的で九州まで行ったかと言えば、私にとって初の企画となる『ジャンボ鶴田に100の質問』を行うためだった。
大阪大会でも出来なくはないが、地方のほうが選手がリラックスしているし後援者の訪問など邪魔も入らない。事実、日本組控室へ入って行くと鶴田はヒマを持て余している様子でロングインタビューになるこの企画に快く応じてくれた。
なにぶん今から40年も前の取材。正直、100の質問のうち3分の1も思い出せない。
そんな中でハッキリ記憶しているのは「まず馬場さんから『絶対に守れ!』と言われたことは?」との質問に対し、
ジャンボ鶴田