[ファイトクラブ]旗揚げ45周年を迎える全日本プロレス その象徴、三冠ヘビー級選手権の歴史!

[週刊ファイト10月26日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼旗揚げ45周年を迎える全日本プロレス その象徴、三冠ヘビー級選手権の歴史!
 by 安威川敏樹
・ジャイアント馬場、日本プロレスから独立
・三冠ヘビー級王座とは何か
・日本の主砲、インターナショナル・ヘビー級王座
・二番手のチャンピオン、UNヘビー級王座
・ハワイが本部? PWFヘビー級王座
・三冠ベルトを統一


 現在、全日本プロレスでは『旗揚げ記念シリーズ』が行われている。その目玉となるのが全日本プロレスの象徴である三冠ヘビー級選手権だ。
 10月9日の東京・後楽園ホールでは挑戦者の諏訪魔がチャンピオンの宮原健斗を破り、見事に第58代三冠ヘビー級チャンピオンに返り咲いた。
 そして旗揚げ記念日となるシリーズ最終日の10月21日、神奈川・横浜文化体育館のメイン・エベントでは、三冠チャンピオンの諏訪魔がチャレンジャーのジョー・ドーリングを迎え撃つ。この日は他にも世界タッグ選手権、世界ジュニア・ヘビー級選手権、アジア・タッグ選手権という、全日本プロレスが誇る四大タイトル戦が行われる。

 全日本プロレスが誕生したのは1972年10月21日、東京・町田市体育館で旗揚げ前夜祭を行ったのがその始まりだ。翌22日には東京・日大講堂(旧・両国国技館)で本格的な旗揚げ興行を行う。
 現在の会社名は2014年7月1日に設立されたオールジャパン・プロレスリング株式会社であり、旗揚げ当時の全日本プロ・レスリング株式会社とは別会社扱いとなっているが、全日本プロレスの流れを汲むという意味では1972年が始まりと言ってよかろう。
 つまり、全日本プロレスは実に45周年を迎えたということだ。同年の3月に旗揚げした新日本プロレスと並ぶ、現存する日本最古参のプロレス団体である。「プロレスの父」力道山が設立した日本プロレスが20年で崩壊したのだから、全日本プロレスと新日本プロレスはその倍以上も続いているということだ。

 45年も続いている全日本プロレス、その象徴となっている三冠ヘビー級王座の歴史を振り返ってみよう。

ジャイアント馬場、日本プロレスから独立

1972年10月、全日本プロレス旗揚げ

 日本プロレス協会が発足したのは1953年7月のこと。その半年後の1954年2月には東京・蔵前国技館で力道山&木村政彦vsシャープ兄弟が激突、日本における本格的なプロレス時代が始まった。ちょうどその頃、日本にテレビが上陸して、プロレスはその電波に乗り大ブームを巻き起こすのである。
 しかし日本プロレス協会発足から10年後の1963年12月15日に力道山が死亡、日本プロレス界は窮地に立った。だが、力道山は死亡前に2人の有望レスラーを育てていたのだ。
 それがジャイアント馬場とアントニオ猪木である。

 力道山の死後、しばらくは豊登道春をエースとしたが、やがてアメリカ修行から帰ったジャイアント馬場が事実上のエースとなる。そして1966年10月、豊登はアントニオ猪木を誘って東京プロレスを旗揚げ、しかし僅か2ヵ月で興行は行き詰った。時を同じくして日本プロレスから分家した国際プロレスに東京プロレスは吸収合併され、猪木は日本プロレスに復帰している。

 日本プロレスと国際プロレスとの二団体時代が始まったが、日本プロレスには馬場と猪木のBI砲という二大スターが存在し、国際プロレスを圧倒した。日本プロレスは従来の日本テレビによる定期放送に加え、プロレス中継を打診してきたNETテレビ(現:テレビ朝日)の定期放送も始める。一つのプロレス団体を二つのテレビ局がゴールデンタイムで地上波中継するという、現在では考えられないバブル時代を迎えたのだ。
 NETの日本プロレス中継に対し、日テレはもちろん反対したが、馬場の試合は日テレが独占中継するという折衷案を飲んで、日本プロレスの二局中継が始まる。馬場の試合を放送できないNETは猪木をエースに押し立てたため、馬場と猪木の対立時代となったのだ。

 1971年12月、猪木が日本プロレスの乗っ取りを計画したという理由で、猪木は日本プロレスを永久除名となった。そして1972年3月、猪木は新日本プロレスを旗揚げすることになる。猪木の追放事件について、事の真相は本稿のテーマから外れることであり、また謎の部分が多いので、ここでは触れない。
 猪木の除名により、困ったのはNET。エースがいなくなったので、日本プロレスに馬場の試合を放送させてくれと訴えた。日本プロレス側は、NETが猪木の新団体を放送されるのを危惧して、日テレとの約束をアッサリ破って馬場の試合を売ってしまった。

 激怒した日テレは日本プロレスの放送を終了し、馬場に独立するように勧める。馬場は日テレの要請に応えて、1972年10月に全日本プロレスを旗揚げした。
 馬場と猪木という二大スターを失って、ジリ貧に陥った日本プロレスは興行を続けられなくなり、遂に崩壊。崩壊の直前、日本プロレス最後のスターである坂口征二が新日本プロレスに移籍し、NETは新日本プロレスを定期放送するようになった。

 ここに全日本プロレス=日本テレビvs新日本プロレス=NET(テレビ朝日)という、二団体による対立構造が生まれるのである。その板挟みになった国際プロレスは1981年8月に崩壊した。

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