[ファイトクラブ]井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル 第22回 猪木VSアリ戦の回想 日本人を敵に回した銀髪鬼の嘆き

[週刊ファイト6月8日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル 第22回
猪木VSアリ戦の回想 日本人を敵に回した銀髪鬼の嘆き

 アントニオ猪木VSハルク・ホーガン戦(83年6・2蔵前)で起きた「舌出し失神事件」の筋書を副社長(当時)の坂口征二が聞かされていなかったことでもわかるように、新日本プロレスは昔から“秘密主義”の団体だった。そのため来日時に酷い目に遭ったのがモハメド・アリの参謀に仕立て上げられた“銀髪鬼”フレッド・ブラッシーである。

 『ファイト』はA・猪木VSM・アリ戦が行われた1976年6月の時点でプロレス専門紙ではなく総合レジャー紙だった。
プロレスのページは全体の4割くらい。プロ野球やキックボクシングの他、日活ポルノや競馬、風俗の記事も掲載されていた。
 正社員のプロレス担当記者は井上義啓編集長と東京支社勤務の松本正雄氏の2人のみ。カメラマンは雇わず、大阪は夕刊紙(新大阪新聞)のカメラマンが試合撮影、フィルム現像、紙焼きをサポート。東京では試合撮影はギャラ1万円でフリーのカメラマンに依頼するか松下記者が撮っていた(ちなみに現在のギャラの相場は2万円プラス交通費)。
 このように人件費や取材費に金をかけない会社の方針の中、外部スタッフの私に20万円という大金を渡して東京に行かせてくれたのがI編集長だった。

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