日米格闘技史百年戦争 アマレス上陸!女子プロ テーズ・ゴッチの時代

日本についにアマレスが定着。そして、日本女子プロレスも誕生し、今日の女子プロレスの隆盛につながる歴史がはじまる。プロ柔道元祖・庄司彦雄から木村政彦への系譜とは?八田一郎 小畑千代 ルー・テーズ カール・ゴッチ ビリー・ジョイス エリオ・グレイシー 力道山〜知られざる秘話シリーズ完結編!
名優でもあるゴッチ、テーズのガチンコ実力はいったいどの程度であったのか。
また、ビリーライレージム出身者たちの実力はどれほどなのか。日米の新たな戦いのページが再び開く。

☆ メケ三宅
 海外に渡ったのは1904年(明治37年)2月の事であった。全国武術選手権優勝の経験のあった三宅は、イギリス・ロンドンにて柔道教師になる。三宅自身は関節技の攻防が巧く、アメリカマット界ではなかなか評価の高い選手であったと言われている。なおオールド・ファンにはたまらない名脇役・沖識名はメケ三宅の愛弟子である。

☆ 庄司彦雄
 大正時代に日本講道館にアド・サンテルが殴り込みをかけた時、これを受けて立った庄司彦雄は異種格闘技戦の魔力に取り憑かれたのであろうか。宿敵アド・サンテルを追って渡米、アメリカマット界で経験を積み、興行とレスリングの普及を日本で行う為に帰国した。
 実際はレスリング留学ではなく、学士留学であったというが、現地でも柔道の指導をしたと言われている。余談だが、カリフォルニア大学の柔道部は庄司が創部したという説が唱えられている。

☆ 八田一郎
 1931年(昭和6年)4月、早稲田大学で、喜多壮一郎を部長に、庄司彦雄、八田一朗、山本千春、小玉正巳などがレスリング部を結成した。これが日本で初めてのレスリング組織である。

☆ 小畑千代
 日本女子プロレスは東京12ch(現テレビ東京)のテレビ放映を得て活気づく。小畑千代のロメロ・スペシャルは見事であり、ある意味不思議なエロティズムが浮游していた。

☆ ルー・テーズ
「足4の字固めは、シュートにはない技だが、あの試合の4の字固めは、明らかにシュートだったと思う。チェーンも金網もない…これが本当のデスマッチだ。猪木にも藤波にも、私は嫉妬を感じてしまう」

☆ カール・ゴッチ
「私はルー・テーズに大きな嫉妬がひとつだけある。それは彼がジョージ・トラゴスのコーチを受けていることだ」

☆ ビリー・ジョイス
 「蛇の穴」の奇妙な名前の由来は、ウイガンが炭坑の街であり、(蛇の棲むような)穴だらけであった背景と、このジム出身のレスラーが蛇のように、ねっちこいレスリングをする事から名前がついたと言われている。

☆ アントニオ猪木
「プロレスとは興行である」と小川直也に教えた。

☆ エリオ・グレイシー
「自分としては(木村政彦に)負けたと思っていない。今回…?、(ギブアップ用)投げるタオルは持ってきていない」(吉田秀彦戦前コメント)

注意)2003年6月25日アートブック本の森「アメリカンプロレス 中級バイブル」(絶版)の一部に加筆、修正を加えたものです。

エリオ・グレイシー死去

日米格闘技史百年戦争 アマレス上陸!女子プロ テーズ・ゴッチの時代

商品コード yamaguchib004

価格 315 円

ウィッシュリストに追加する »