大好き!世界一の女子プロレスとUWF『マット界の黙示録』

「猪木だったらなにをやっても許されるのか」―UWF軍の前田明が噛み付いた!

【己の行く道を見定め、迷いなき自信に裏付けられた技の応酬】
80年代の新日本の黄金時代と凋落は日本経済のバブルとその崩壊を彷彿させる部分が多い。ただし、時間軸の点で新日が先を行っていた。
スポンサーでもあった倍賞美津子に逃げられ、団体の迷走が表面化したのはバブルがピークに達した87年だ。

【幾多もの経験と試練は、若武者前田とUWFを本物へと覚醒させた】
89年7月24日、アントニオ猪木は99万3989票を集めて参議院議員になる。プロレスラー初の国会議員が誕生した。
10月14日に、福島県の会津若松で、議員になってまもない猪木が、講演中に暴漢に襲われるという事件が起こった。東京に戻り飯田橋の逓信病院に入院した猪木の病室では、猪木快守と新興宗教・崇教真光の幹部・安藤妍雪のカップルが、手をかざして猪木にエネルギーを送っていたという。そして10月25日、頭に包帯をし、車椅子に乗った46歳の猪木が、国会で初めて質問に立つ様子がテレビに映し出された。当時、さすがのプロレス業界人たちも、これを見て寒気を覚えたものだ。

【風林火山】
日経ダウ平均が38915円のピークをつけたのが89年末である。バブル経済は崩壊への道を辿る。"ジャーマン・ヘビーメタル"好きの筆者にとって、神であるカイ・ハンセン率いるガンマ・レイのデビュー作が発売されたのが翌90年のこと。今も亀田興毅のボクシング中継では、ラウンドごとに「明日に向かって」のコーラスが鳴り響く。北米市場ではIT産業の拠点シアトルが輩出したクイーンズライチが『エンパイア』を発表している。
大英帝国73年のデビュー以来、ヘビーメタル界の"鋼鉄神"として王道を突き進むジューダス・プリーストが、最高傑作『ペインキラー』でフィナーレを飾ったのも90年だ。しかし、音楽界はヒップポップ系がチャートの上位を独占するようになる。

【プロレス界の失われた10年】UWFの台頭に老舗団体は危機感を募らせる。90年1月4日にキャピトル東急ホテルで馬場、坂口の巨頭会談があり、冷戦構造が崩れ新日本vs.全日本の対抗戦が動き出した。ベルリンの壁崩壊から2ヶ月後のことである。
91年1月、多国籍軍が「オペレーション・デザートストーム」を発動し、湾岸戦争が勃発した。証券業界は、損失補填など不祥事が相次いだのが同年である。戦後日本型システムの象徴というべき「金融護送船団方式」もほころびが出てくる。
ただし、一般市民レベルの理解では、格付け機関から最上級AAAの評価を得ていた日本の銀行が世界最強で、ニューヨークのシティーバンクは首切りばかりで経営が不安定だと認識されていた。

■格闘技の日米比較も同様で、レトロ・プロレスと呼ばれる過去の歴史は美化して語られても、日本のマニアは当時のアメプロを「単なるショー」「芝居」などと一段も二段も低くみていた。この誤解がのちに大きなひずみを生じることになる。

【実技班コラム】御用マスコミ「活字プロレス」の功罪

大好き!世界一の女子プロレスとUWF『マット界の黙示録』

商品コード tanakatada005

価格 315 円

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