[週刊ファイト2月9日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
過去に1度も誤報を流したことがないメディアは皆無に等しい。それによって自らの首が吹っ飛んだ編集局長や編集長は数え切れない。その点、プロレス専門紙(誌)の編集長は気楽だが、ジャイアント馬場関連の報道で重大ミス(?)を犯した私は、1度だけ会社を辞めようと考えたことがあった。
by 井上譲二
1990年代に発生したマット界最大のニュースは、国民的レスラーといわれるジャイアント馬場さんの急死(享年61)である。わずか1カ月半前に閉幕した『98世界最強タッグ決定リーグ戦』にも出場していただけに、その衝撃度は計り知れない。
馬場さんの死が発覚してから一般紙の記者たちから「プロレス・マスコミはかなり前から重病であることを知っていたんでしょ?」と言われたが、本当に誰も知らなかった。
『最強タッグ』開催中に馬場さんから聞かされていたのは、シリーズ・オフに所用でカナダ・バンクーバーに行き、その後、米ラスベガスでノンビリ過ごすということだけ。
しかも例年、年内最終シリーズが終了すると、よほどの事が起きない限りすでに第一線から退いている馬場さんを追わない。だから暮れの時点で異変に気付いた記者はほとんどいなかった。
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