[ファイトクラブ]シュート活字講座2017①相手あってのプロレス~永遠の愛ケイト・ブッシュ♪嵐が丘

[週刊ファイト1月26日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼シュート活字講座2017① by タダシ☆タナカ
 相手あってのプロレス~永遠の愛ケイト・ブッシュ♪嵐が丘
・新日ワールド6万件、海外25%~新解説はカナダ人ドン・キャリス
・リングス番組エンディングにLETTER X♪More Than I Can Say
・シュート活字で紐解く1978年藤波辰巳MSG戴冠と学生プロレス起源
・業界用語「ブラザー、シスター」 ともに信頼で闘う経済語「協争」
・K-1「武蔵が選ぶ”闘志がみなぎる”ハードロックBEST3」記事に
・アンドレ・マトスAngels Cry20周年記念ツアー2013の♪嵐が丘
・柴田勝頼の不倫ニュースとオカダ・カズチカ結婚の環状線理論

 今週に目立ったニュースとしては、ジミー・スヌーカの訃報とオカダ・カズチカの結婚、そのニュースに水を差すかの意味深なタイミングで一部に流された柴田勝頼の元愛人が、Twitterで過去のやりとりを暴露したことになるのだろうか。定期購読者には繰り返しになるが、本誌は選手のプライベートなことを職務上知りえても、取り上げない方針がある。訃報や事件は、本誌がどこよりも早く知った訳でもなければ独自の切り口でなくとも、ニュースとして追随することになろうが、めでたい喜ばしい話にせよ、オカダ・カズチカの東スポによる「相手は女子アナ」スクープをなぞる意味が乏しいし、業界の足を引っ張るようなネタに首を突っ込む理由もない。但しリーク問題含めて思うところはあるので、有料箇所には取り上げさせていただく。
 本稿では、木谷高明会長がロサンジェルスを拠点に新日本プロレスの海外進出をぶち上げていることを枕にして、2年ぶりのシュート活字講座にしたい。

 大人向きを標ぼうする本誌はすでに三週に渡って、ケニー・オメガ対オカダ・カズチカ戦の称賛を続けている。年間最高試合賞のダウン役こそがプロレスの神だと尊敬するのが、やる側・作る側から底なし沼を徘徊して深く楽しむシュート活字の骨幹だと説いてきた。ただ、その観点から映像を見る場合、日本の実況がどうしても馴染めなく、自然とリモコンのボタンが音楽に切り替わってしまう。やる側から仲間と一緒に見るスタイルを長年続けてしまうと、例えばムーンサルトが出たら、「痛ぁ~!」と一斉に声が上がってアップした選手に成り代わってヒザをさすってしまうもの。受ける側は一切痛くはない。というか、「絶対に動くな」という掟とお互いの呼吸にミスがない限り、痛かったらそれは失敗spotである。こういった楽しみ方がシュート活字であり、観点が違う実況だと集中してどういうお仕事をしているのか見えてくるものが隠れてしまい、かえって邪魔なのだ。

Letter X – Reflections (1996)
 
 一部の特殊なやる側だけの習性かと思っていたら、ニューヨーク在住時代にWRESTLING OBSERVERのデイブ・メルツアーと知り合って、最初に尋ねたのが「奥さんが日本人とかなのか」であったが、「日本語はわからない」という。そこから、いわゆる北米の日本マニア諸氏、やっぱりTV画面は凝視するが、実況は音楽などに変えてる者が少なくないことを知る。例えば王道のプロレスならアイアン・メイデン、UWF回転体の格闘様式美を魅せるリングスには、ジャーマン・メタルの様式美がしっくりくるなど組み合わせまで情報交換したものだ。そんな最中、そのリングスは段々とガチンコの割合が増えていく。住んでいる場所が海外であっても、仲間からWOWOWやCS放送までVHSテープが毎週のように送られてきていた。
 ついに全ガチ大会が中継された時の衝撃は忘れられない。試合中はリモコンがスピーカー音声をメタル音楽に変えていても、試合が終われば実況音に戻していたが、番組のエンディングに流れたのはLETTER Xの♪More Than I Can Sayだった。ほとんど腰を抜かさんばかりに驚き、涙が止まらなかった。そんなマイナーな解散したドイツのバンドを選んでいるだけではない、わかってリングスを注視してきたのは自分だけではない。音楽担当者もまた、その回がなんであったのか知ってこその選曲だった。

新日ワールド6万件、海外25%~新解説はカナダ人ドン・キャリス
 999円新日ワールドに関しては、ビッグマッチは選択で英語実況が選べるため、音楽でなく、わざと英語音声を選択する国内のファンも少なくないと推定される。残念ながらスティーブ・コリノが卒業となり、実況のケビン・ケリーと組むのはカナダ人のドン・キャリスだと発表された。ケニー・オメガの推薦だと言う。キャリスは、月曜生TV戦争時代に選手として出ていた頃は、とにかく頭が切れて演説がうまかった。やがてトーク専門になり、ヒットラーのような演説台で政治的な過激発言をするキャラになり、カリスマ性とアピール内容が抜群だったのを鮮やかに覚えている。ただ、マット界から長く離れていたことと、コリノと違って日本との縁がなかった欠点はあるが、明らかなインテリだった印象含めて期待したい。

 その新日ワールド、1・4でいきなり、特に海外から直前の契約がガンガン伸びてのべ6万人になったそうだ。海外からが25%を占めるらしく、気を良くした木谷高明会長はロサンジェルスを拠点に海外進出の進軍ラッパを吹きまくっている。ただ、その発言内容は疑問だらけ。そりゃ7月1日、2日とロングビーチの3000人収容のコンベンション・センター進出は結構なことだが、そういうたまに行く遠征は客も入るかもにせよ、道場設立だけでなく、ロス部隊で定期的に大会を組んでいくとなると、WWEの独裁が続く北米市場での採算がまるで見込めない。なにしろ、WWEネットワークとの桁違いの加入者数だけではない、総売り上げ比較でも10倍どころか何十倍もの格差があり、インディーとしてローカル団体を立ち上げたとして、コスト計算がまったく合わないのは自明であろう。

業界用語「ブラザー、シスター」、ともに信頼で闘う経済語「協争」
 シュート活字講座としてのケニー・オメガ対オカダ・カズチカであるが、何度も繰り返し見てしまう、細部に新しい発見があり勉強になる題材である。結局、卒業しない永遠にプロレスLOVEを誓うことの出来る底なし沼の楽しみ方とは、闘う両雄の愛を確かめ合うことに尽きてしまう。一歩間違えばオカダ発言にもあった本当に「死ぬかもしれない」ギリギリの攻防に身をゆだねあっている以上、兄弟愛がなければ無理なお仕事なのだ。
 ハルク・ホーガンの全盛期、ハルカマニアと称されるファンに向かって「よぉ、ブラザー!」と決まり台詞を吐くのは、日本など海外のファンにも広く知られている。ただ、この業界では仕事仲間のことを「ブラザー(女子プロだとシスター)」と呼び、文字通り身をゆだねるお互いの愛を確認し合う舞台裏の業界用語から、オモテのキャッチフレーズに転じた逸話をご存じだろうか? プロレスを深く愛したら、さらに底なし沼に突き落とされるというのが本稿の主旨である。
 それで英国の歌姫ケイト・ブッシュの1978年のデビュー作、♪嵐が丘なのである。この歌で、エミリー・ブロンテの「世界の三大悲劇」とも称される原作小説や、複数ある映画を知った方も少なくないようで、主人公「ヒースクリフ」と「キャサリン」との間の愛憎、悲恋、復讐を、プロレスのドラマのように感じた。

ケイトブッシュ”嵐が丘”(1978) / HQ REMAKE 2016 image mix / 日本語翻訳歌詞+ Eng sub

 なにしろ1978年1月23日、大雪のMSGからの新日本『ワールドプロレスリング』中継では、藤波辰巳がカルロス・ホセ・エストラーダにドラゴン・スープレックス炸裂させ、WWWFジュニア級王者に認定されている。
この中継は、初めてジュニア戦士が主役になった放送として記憶されているが、ファンの覚醒という重要な意味を持っていた。それまでの「観るだけ」から「語る」、さらには自分たちで「演る」という、一歩も二歩も踏み込んだ意識がこの試合によって芽生えたといえよう。
 いかにドラゴン藤波の“飛龍革命”があらゆるレベルで画期的だったことか。その象徴はファンクラブ同人誌の氾濫である。「公認」体裁のものも一部にあったが、もちろん団体主導のものではない。便所の落書きネタを含む原始的な勝手メディアである。原則は発行人となる個人の奉仕がすべてだが、同志サークルの連絡網が全国ネットワークで成立していた時代背景の紹介が必要だ。通称「プロレスFC誌」が百花繚乱の全盛期を迎えるのに時間はかからなかった。
 同人誌には大きく分けて二種類があったが、基本的スタンスは双方とも「応援」である。ミル・マスカラスやテリー・ファンク、藤波辰巳などの「個人応援誌」に加え、新日ファンの「ストロングスタイル信奉」誌が乱立、あるいは「国プロ機関誌」がマニアを連携する一方で、全日から国際まで幅広く扱う「総合FC誌」というカテゴリーも存在した。ここに「プロモーター&マッチメイカー派」(のちに群雄社出版『激突!馬場派対猪木派』収録)という、独自の視点を持ち込んだのが同志社プロレス同盟DWA発行の『Wrestling Digest』である。

 1978年春から全国で初めての学生プロレス団体の創設に加わった筆者は、シナリオを考える側だった。藤波と剛竜馬の連戦などの名勝負のスポット進行を、記憶を頼りにそのままコピーする。当然ビデオなど普及していない時代だ。また、筆者は当時ロックバンドも組んでいたが、クリームの「ホワイトルーム」をコピー演奏する時も頼りはレコードのみと、「頭で聴く」訓練をした。一方で、ライブを重ねることにより、お客を楽しませてナンボという発想が自然と身についた。黒魔術を操る悪役ギタリストのオリジナル・ソロなどは、レスラー同士のアドリブ展開に共通することに気づく。
 こうした作業を続けるうちに、インサイダーの視点による雑誌をつくりたいとの思いが膨らんできた。これが翌1979年5月に、プロレスをショーと認めた上での批評や観戦記を掲載する、世界で最初のやる側・作る側、あるいはシュート活字による同人誌『Wrestling Digest』を創刊した動機である。
なお、カリフォルニアのデイヴ・メルツァーが北米発のシュート活字紙『Wrestling Observer』を創刊したのは1982年のことである。
原題はTHE KICK INSIDE(1978)

 そんな時代に流れていたのがケイト・ブッシュの♪嵐が丘だった。「ヒースクリフ」と「キャサリン」の愛憎は、プロレス芸術とは何かをDWA部員に説明する教材だった。猪木や藤波に感化されて大学にてプロレスを研究するという前代未聞のサークルに入った人数こそ多かったが、舞台裏の仕組みを知らない、なにをどうやって試合を作るのかわからない者ばかりだったからだ。
 デビュー作の発売から39年の歳月が流れているが、ケイト・ブッシュは昨年、ようやく公演に復帰してそのLIVE音源も発売されたばかり。ケニー・オメガ対オカダ・カズチカを繰り返し映像で堪能する際に、原点である不滅愛とは何かを訴える♪嵐が丘など、ケイト・ブッシュをBGMにしたのは、果たして筆者だけの特殊な例だったのだろうか?

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