[週刊プロレス09月22日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
今からちょうど10年前の06年9月27日、我が『週刊ファイト』は通巻1990号をもって39年の歴史に幕を降ろした。記念すべき2000号まであと10週のところで休刊に追い込まれてしまったが、私自身、なぜか無念の思いは皆無に等しかった。ただ、いち記者時代、編集長時代を通じて脳裡に焼き付いている出来事は山ほどある。その中から、“取って置きの話”を今号より連載にてお伝えする。
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by 井上譲二
私が編集長を務めたのは12年3カ月。『週刊ファイト』の記事に対して団体関係者や選手から数10回、抗議を受けた。毎週のようにクレームが付き、その対応に追われた時期もあった。
それらの中で「お家の一大事」といえるのは、やはり03年3月に新日プロより通達された取材拒否だろう。それを決断したのは当時、営業部長とマッチメーカーを兼任していた上井文彦取締役である。
彼がカード編成およびストーリー作りに携わっていなければ、あの時の取材拒否はなかった。それだけはハッキリ言える。
取材拒否の理由は、他紙(誌)の記者たちと違って『週刊ファイト』は自分(上井氏)に聞きに来ず、どこからか新日プロの極秘情報を入手して先走って書き立てるというものだった。
確かに新日プロにとって都合の悪いことだが、情報を先取りをやらなくなったら『ファイト』の売りはなくなってしまう。だから、取材拒否通達後に東京・六本木のホテルで話し合った時も私は上井氏に謝罪しなかったし、情報の先取をやめる約束もしなかった
もし約束してしまったら間違いなく『ファイト』の紙面は死ぬ。そんなことできるかッ! という思いである。
とはいえ、会社(新大阪新聞社)の役員たちはかなり狼狽していた。新日プロの記事、写真が載らなくなると『ファイト』の売れ行きが急激に下がると懸念したのだ。