エルアルコン誌パーティーも終了、メヒコを離れてロス経由で成田空港へ

寺内1/2兵衛のviva素晴らしきプロレス第2章#9
 「エルアルコン誌のパーティーも終わり、今日は、メヒコを離れて、ロス経由で成田空港へ・・・」あっという間の7泊9日もあと1日。
 寂しさも喜びも紙一重かもしれないが、初のメヒコは、想像以上でラテン特有の陽気さに、心も踊る。生ルチャリブレは有名、無名レスラーのファイト問わず、埃っぽいメヒコの風と匂いが何とも懐かしいやら…。堪らない程日本とは違って見える。
 比べられない事は、重々承知していても…1996年6月に12年ぶりにメヒコに着いた時に、空港からクリスタル・ホテルに向かう車窓からの風景は、ワーゲンのタクシーも無く、町並みも以前より綺麗で、「ここメヒコなの?」と思わず、清水さんに聞いてしまったほどの変わりようだった。セブン・イレブンもホテルの側に威風堂々と^^^ネオンも日本とアメリカ同様に輝いていて…。チョット、チョット^^・・・と今の平成の日本ではない、昭和の風情ある日本と同様の「私のメヒコを返して」と、この国の成長を無視した勝手な独り言は、またの機会に・・・。
 そして、順調に「お金等を盗まれたり」のトラブルも無く~しかし、突然のお出ましが^^・・・。何かと云えば、注意してきた下痢が遂に・・・・。やって来ましたメヒコの洗礼が・・・くたくたで願わくばもう1ヶ月は滞在したかったが、それも無理で「お金と仕事の為」行きは酔い良い帰りは怖い・・・。日本昔話でも、ゲゲゲの鬼太郎でもないが、無事に日本に帰れますようにと、祈りながらアディオス。持参した正露丸を飲み、お土産、マスク、リングのおもちゃ、ソンブレロ2個、他の荷物をサムソナイトの大きなブラウンのケースに入れる。当時は、今のキャリーケースのように伸縮自在なハンドルなんてなく、縦にすると持ち上げられる取っ手が付いていたが、荷物も多く大変だった・・・。他にスポーツバッグもあり、難儀ですが、苦楽を共にした、伊ヶ崎さんと三浦さんとアルフレッドに別れの握手を交わし、お世話になったアラメダホテルのスタッフにお礼を述べて、一路空港へ出発。
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エルアルコン誌のパーティーで再会したロビンと・・・。マスカラス様も!同上でどこかの記者かレスラーとポーズ^^。左下-アカプルコの海辺のテレフォンブースで日本に国際電話する図。左上-アレナメヒコでのエル・スプレモと左端はエローデス。
 ここで当時のルチャの1週間の試合日程を紹介すると、月曜日はアレナプエブラ。火曜は、アレナコリセオかアレナアフィシオンデパチューカ。水曜は、アレナナウパルカンカアレナコリセオデアカプルコ。木曜はアレナトルーカかピスタレボルシオン。金曜はアレナメヒコ。土曜はピスタレボルシオン。日曜はエルトレオかアレナコリセオかアレナナウカルパンのダブルへッダー。
 以上の予定ですが、毎日ほかにも第3団体の「スペルリブレス」や地方の試合も有り、プロレス天国だった^^^「viva-mexico」。
 比較は出来ないが今の都内でも新木場1stリングや新宿FACEや板橋グリーンホールや東京キネマ倶楽部等もあり、1週間プロレス三昧できる環境で、北米に比べれば大変に恵まれてるが・・・・。「何かが足りないのだ・・・それは、あと5年位この「viva・・・素晴らしきプロレス」コラムが存在してたら話そうかな・・・という非常に冷たいようなモッタイ振るこの天才悪魔フーマンチューの如き囁きでも、何でもありが当たり前の世の中で、もし、日本からプロレスが無くなるなんて…。
 誰も心配も危惧もしないかもしれないが、今もテレビで無く会場で試合を観られるお客さんと、試合が出来るレスラーズの皆さんは、幸福なのですが…。今年で無くなる団体と来年旗揚げする団体もありますが、僕は5年でも6年でも長い道のりですが「継続は力なり」と申しますが本気でこの原稿を執筆してますので、皆さんも5年10年単位でプロレスを卒業せずに観て欲しいのです。
 メヒコの今年の現時点の詳しいサーキットスケジュールは分らず、皆さん自力で探して下され・・。空港に向かう車内で、今回も出ましたので、皆さんご一緒に「なぜporque^^^・・」。何とメヒコ到着時に空港に迎えに来ていたドンタコスのCMのおじさんにも負けないセニョールは、青い翼のリスマルクと1981年6月の国プロ『ダイナマイトシリーズ』に来日した、ティエラビエントイフェゴ、英語表記でアース・ウインド・アンド・ファイヤーだったなんて^^^^・・。
 このシリーズには、エル・クルセロ、ジプシー・ジョー、カール・ファジーも来日していたのです。白地のマスクに青と赤のおしゃれでもなく長身の選手で、アレナメヒコの6人タッグに登場していた事をこの話を聞いて思い出したぐらいで、ティエラさん、ゴメンなさい・・ペルドーネメ・・。
 タコスもセルベッサ(ビール)も美人のセニョリータも観光も堪能し、キリが無い程の思い出は美しいが大事な事が一つ・・試合で仮面貴族のファイトを生で観れないとは・・・悲しすぎるよ・・。「当時のマスカラスはスペルリブレスに参加していた為なのか・・・」今度ドクトル・ルチャに聞いてみよう^^^・・・強い見方です・・・。
 ロス行きのメヒカーナ航空の飛行機を窓越しに、大量のペソを円に変えて、お腹の調子が悪いのを除けば、忘れ物もなく、上空から、パラシオスデポルテスの巨大な屋根が見えて、機内食には手を付けずにチョットお休みタイム・・。アットいう間にロスに到着し、この年の8月は、ロス夏季オリンピック開催が決定していて、まだ開催まで半年もあるのに、商売、商売のグッズがいっぱいで、どうしても買ってしまった。
 「アメリカの平和のシンボルと云えば、イーグルですが、このアメリカンイーグルのキャラクターが、ディズ二ーのドナルドダッグにそっくりなのも笑えるが^^^・・・隣国のメヒコはルチャリブレ三昧して、勿論オリンピックのオの字も街中全てを探しても無く、開催国のUSAは大騒ぎ^^^やはり島国でない国と国の国境を一歩入ったり、出たら「天国と地獄」とは言わないが、カルチャーショックと貧富の差を感じずにいられず、日本の平和と安全の有り難さが身に染みて・・・
 昔の関所も凄く厳しく大変だったのでは・・・。
 あくまで1984年2月の時点の思いで、現在は、平和ボケと地域の安全も危険に満ちていて、自分の身は自分で守る・・と言う海外旅行の鉄則が今の日本にも必要とされる現実は、平和ではないのだ。
 買い物を終えて、日本行きの「パンナム航空のジェット機が登場口に横付けに・・。1950年代から1990年代前半までは、空の王者としてブランド力は高く、思い出すのは、力道山時代から成田空港が開業するまで来日した外国人レスラーがタラップに勢ぞろいして、写真に納まった姿や渡米する、力道山、馬場、猪木他の日本人選手の雄姿も忘れられない思い出の一コマだが、一度は変更になった「出発の2月13日がパンナムからシンガポール航空に急遽変更になった為、どうしても、パンナムに乗りたかった訳^^^でその後のアメリカとメヒコ行きは、ユナイテッド、デルタ、ノースウエスト、KALで「JALもANAも利用せず・・。念願のパンナムで快適にと云いたいが、「下痢」はまだ治らず、正露丸の効力に祈り、静かに成田到着を待つのみ・・・。
 しかし神は我を見捨てずに^^^この変更されたシンガポール航空のサービスと気配りと笑顔は、ひょうたんからぼた餅^^状態で、「意味の分らない人は40歳以上の人に聞いてね^^・。」最高です。
 帰って来たくない日本に無事に到着して^^^「いつもアメリカとメヒコから帰国するたびに痛感するもう病気の一歩手前ですが、笑って許して・・。
 真冬の2月21日の日本は寒く、帰りのリムジンバスを経由して、箱崎シティエアターミナルに着く。当時は、まだ都内に住んでなく、実家の桐生まで帰らねばならなかった僕を清水さんが、優しく「寺貫、俺のウチに泊る・・・」と誘ってくれて、嬉しかったが、友達が浅草まで友達が車で向かえに来てくれる約束だったので、残念ながら断った。新婚カップルの清水さん夫妻とぺぺ田中君と旅の成功と色々とお世話になったお礼を述べ、がっちり握手して一人寂しく浅草へ・・・。
 この後、やっぱりすんなりと終わらないのがこのコラムです^^^・・・。東武浅草駅の側の喫茶店「今はスターバックスに生まれ変わってます」で約束の時間を過ぎても友達の姿も車も見えず、30分店で待ちぼうけ状態で、きっともう都内にいるのかと思い、telしたら、本人が電話口に出た^^^・・なぜporque「お前なにしてるの・・・もう頭の上から湯気が出てる状態で、結局館林駅という桐生から50分ぐらいしか離れてない東京が遠い群馬で待ち合わせとは、・・・  「当時は、ケータイなんて夢のまた夢の時代で、疲労困憊と約束の重大さを分ってない友達とは、これっきりでso-long. 「遅れるならお前から店にtelで伝言するなり出来るだろうが」。
 最後の最後でとんだとばっちりで今回のサイトシーイングは^^^フィ二ート(終わり)ですが、メヒコ繋がりで次回は格チャンの第11回「1990年6月11日放送のEMLL特集のVHSテープが発見出来、今回のメヒコのレスラーもかなり登場しているので詳しくコメントするか、海外珍道中パート2の1995年8月のアメリカ編を紹介するか他の題材を選ぶかは、未定です。
 ここで大事な事を忘れていました、週刊プロレス10月6日号に「マスカラスのカラー25ぺージ大特集」が掲載されて、1年3ヶ月振りに購読しましたが、未公開の写真もあり・・・。佐藤編集長gracias.
 では、今回のお別れの曲は、まだまだ元気で10月1年7ヶ月振りに再来日した仮面貴族マスカラスの「スカイハイ」です。
 あなたのハートにviva-mexicoとミルホンネット、アディオスーアミーゴ!
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 右―今は無きアラメダホテルの正面。右上-同上のスタッフと笑顔で^^・・。テオティワカンの遺跡の頂上で、清水さんと伊ヶ崎さんと・・・。1984年3月、都内での清水さん夫妻の結婚パーティーで、リスマルクのマスクでドクトル・ルチャを担ぐ僕^^。