1990 3・5ユニバの後楽園ホールは大熱狂でシリーズ最終戦はbravo!

寺内1/2兵衛のviva素晴らしきプロレス#5

 ユニバの後楽園ホールは大熱狂でシリーズ最終戦はbravo^::。次期シリーズは、”聖者二世”エル・イホデル・サントが遂に初来日決定。そして、涙の別れとまたトラブル発生:::。「いい加減にしてくれ::」
 
 1990年3月5日、lucha libreと全女の魅力が爆発したリング。格チャン初期のビデオは、手持ちの在庫が少ない中でも、この最終戦のビデオを今改めてcheckして、原稿を書くとこの場所にいた幸せに感謝する。また、この電子書籍と言うsuper machineに乗って、当時の事情を告白出来る事は、感無量ですね。とにかく、ユニバの旗揚げシリーズ『ニュー・ファウンド・コンペティション』は、色んな意味からもあらためて伝説だったと思う。

 アジャ・コング、バイソン木村組vs.ソチ浜田、前田薫組は圧倒的にJangle Jackのアジャとバイソンのパワー全快も、前田がアジャにウラカンラナで、ソチはバイソンに回転エビ固めで、ダブルフォールで逆転勝ち。19分25秒~「なぜに::^」。
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セミ前の花束贈呈

 注目の浅井嘉浩、ケンドーの2人のケガの状態が心配な6人タッグパートナーは、黒忍者のブラックマンで相手は、ロス・テメラリオス。ほとんど右肩の上がらぬケンドーと、ロープに振られて苦悶の浅井では、戦況不利は否めず。前半はテメラリオスのやりたい放題で、一方的なペースだったのを、リンピオトリオ「べビー」の連携プレイで踏ん張り、浅井がブファドーラからウラカンラナをシュー・エル・ゲレーロに12分19秒決めて逆転勝利。ファンの「おめでとう」の一言が、忘れられない。

 メインはUWA世界ライトへビー級選手権「グラン浜田vs.ぺロ・アグアヨ」、時間無制限3本勝負。今では、考えられないねぇ!

 今回もやります「なぜ::ポルケシリーズ」。昔は、60分3本か、61分1本か、無制限1本はあったけど、3本勝負は、なぜ:::誰が決めたのか:::?
 記憶の彼方に旅してみれば、世界最短試合は1950年代後半から60年代前半に、ボボ・ブラジルが、ゴングと同時にドロップキックでカウント3。多分6秒だったのでは:::?

 まだテレ東が12チャンネルの時代に、『プロレスアワー』でこのブラジルの雄姿を目撃し、さらにプロレスの魅力にどっぷり浸かって行く。因みに第1回のカードは1968年11月30日放送で、ルー・テーズvs.アントニオ・ロッカ、キラー・コワルスキーvs.ジョー・ブランチャード、その後、ブラジルvs.フリッツ・フォン・エリック。ここで、奇跡が::セピア色のvideo発見し、ブラジルがエリックにココバット連発し、レフェリーの静止を聞かずに反則負け、実質KO負けの鉄の爪の哀れな姿、信じられない。この他に、アンドレvs.ザ・シークも有り涙::^。たまには掃除と同じでcheckしましょ::。お宝videoが出てくるかも::。

 ウイルバー・スナイダーvs.ディック・ベイヤー(後のデストロイヤー)、ジン・キニスキーvs.ブラジルほか名勝負の数々。たまには、YouTubeでチェックするのも、良いよ^^。
 短くても、長くても退屈せず、再戦が観たくなるのが「名勝負」というモンだ。

 次は、世界最長試合
 1位 ストラングラー”締め殺し”エド・ルイスvs.ジョー”胴締めの鬼”ステッカーの1927年12月13日、二ューオリンズでは5時間45分。翌年2月20日のセントルイスでは3時間27分50秒という記録が残ってるが・・・。

 2位 アントニオ猪木vs.マサ斎藤の巌流島決戦:::。1987年10月4日の無観客試合。2時間5分14秒で「やっぱり主役は俺」と自己主張の社長がTKO勝ち。

 90年3月5日の後楽園ホール試合に戻り、浜田が2-1でタイトル防衛に成功したが、1-1から浜田のウラカンラナが決まり、ウォーリーの高速カウントがファンのブーイングを買い、すっきりしない幕切れだった。両者流血し、納得出来ないぺロは、ウォーリーを殴り倒し延長戦をアピール! 竹田会長に直訴して、時間無制限1本勝負が突如決定。場外の浜田をカサスが羽交い絞めにし、リング上のぺロのトペが同士打ちになり、ダウンしたカサスを心配したぺロは、リングアウト負け。2分11秒!
 1974年2月の新日プロ『ビッグファイトシリーズ』からの因縁が11年を超えて、決着は次期6月シリーズに持ち越し::。すっきりしなかったなぁ~。
 控え室に戻るとアストロとケンドーから「今シリーズのポスターが欲しい」と頼まれたので、自分のが2枚あるので、明日成田空港で渡すね:::と約束したら、何と2人から本物のマスクをプレゼントされ感激^^。Gracias amigo涙が溢れ、やっと仲良く慣れたのに、もう別れが:::。でも、6月シリーズでの再会を約束し、飛行機をデッキで見送り、都内に戻り、打ち上げのおつかれ会も無く・・・多分、代表が酒を飲めなかったからか、赤字で無理だったのか:::。そして、疲れだけが残った旗揚げシリーズでしたな^:::。

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試合後に帰りの車に乗るブラックマンとアストロと、ファンから花束をプレゼントされた僕

 数日後、僕をリングアナに推薦したドクトル・ルチャの清水さんから、代表へ抗議。3人で護国寺のファミレスで会い、いきなり「どうして、寺貫に外国人係もさせたんだ:::」と代表に詰め寄り、「謝ってくれ」とやったら、確か代表は、「通訳がイナカッタノデ」と言い訳して、素直に謝ったけど。いきなり足を蹴られたり、シリーズ中のもろもろでハッキリいって嫌いだったので::。

 ちなみに昔のドラマで『寺内貫太郎一家』というTBSの人気番組があり、西城秀樹さんや小林亜星さん他が登場した関係で、よく、ゴング誌の竹内さんや宍倉次長から、”寺貫”と呼ばれていた。1995年4月、当時のCXフジテレビの控え室で秀樹さんと話せて、感激^^:。代表に関しては、別にいまさらなんだよ:::これが本音だね。

 そして、6月シリーズ『スペル・エストレージャー』開幕戦の後楽園ホールで、また、なぜ(ポルケ:::)。会場入りしたら、またいきなり「今日でクビだ::」としか言われず、理由も聞けずに後任のリングアナは、代表の知人でスナックの店長。ホストみたいな感じの若手である。プロレス好きなのか疑問に思っても、雇われてる弱い立場だからしょうがないが、早く言ってくれてもいいじゃないの:::。

 僕に謝ったのが悔しくてクビにしたと思うけど、もっと謙遜してコミュニケーション取らないと、皆が離れて行く::。メキシカンも浅井君もサスケも他の選手も・・・ドンドン心が離れ団体潰れるよ。この後、僕と清水さんは取材拒否になる。1シリーズ・・・本当に何を考えてるか分らない人だ。

 やっぱりと言うか1993年8月、後続団体のFULLでThe End. そればかりか嫌がらせも酷く、何と試合中にも関わらず「青山の事務所に行き、勝利者カップを持って来い」って、もう、なぜを通り越して、fuck youだよねぇ:::。
 でも、試合は盛り上がり6人タッグの試合後、日本マット初のおひねり、1000円札と小銭がリング上に投げ込まれ、浅井君がビールのコップを持ち、初来日でファンのハートを掴んだサントと人気者のケンドーの3人は、涙と笑顔でmuybien^^. 試合後の控え室でも、サントとケンドーの涙は止まらずに、「日本に来れて良かった」。MLBならスタンディング・オベーシヨンだね。舞台やコンサートでは、アンコールも多いが:::。
 一番最初にコインを投げたあなたに座布団3枚^^!

 大成功に終わった1990年6月1日。
 新シリーズは、あのレスラーと関係者のとっておきの話教えちゃうよ^^。もう後ろを振り向かずに前を向こうと気持ちを切り替え、新宿ワシントンホテルでアストロ、ケンドー、カサスにお別れの挨拶に行ったら、「ポキート、メヒコの俳優にそっくりだ」と(笑)。アストロやレフェリーのブクレス達が2月28日の成田空港でニックネームを命名してくれたのも、身近な存在になれて、amigoとして認めてくれた喜びは、今も嬉しい。

 皆さん1人でも外国人の友達作ると、視野も広がり、world standardの意味を考えずにはいられない。だって、なんだかんだ言って、日本はまだparadiseで、若い内に、自分はJapaneseなんだと自覚し、苦しみ、幸せの定義を見つけて欲しい^。
 ワシントンホテルのレストランでアストロとカサスが、「ポキーと一緒に、セルベッサ(beer)飲もうと誘われ、サルー(乾杯)と色々な思い出話にbeerも美味しく、時は過ぎ::今までgracias amigoと2人と握手したら、「ポキート、また、俺達をコールしてくれる日を楽しみにしてるから::」とカサスが言って…。アストロはハグしてくれて、恥ずかしながら、一粒、二粒の涙が止めどなく流れ落ち、2人をしばらく見ることが出来なかった::。

 何時まで飲んだか忘れたが、途中アグアヨさんが、にっこり笑って手を振ってくれたのが忘れられない。思い起こせば、1979年2月に京王プラザホテルに来日中のぺロとべビーフェースを訪問した事もあり、アミーゴスとの出会いは、映画のワン・シーンのように、僕の心から離れない^^。久々、14年振りにメヒコ行こうかな^^:。お金が足りない:::porque^^.

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新日プロに初来日したペロを、京王プラザホテルの部屋を訪れ、プレゼントされたTシャツを着て:::^^。ロビーまで見送ってくれたペロさん。

 別れを惜しみながら、ホテルを後にtaxiを乗る前に、夜空に映える月が輝き、心が洗われてvery happy.^^。
 明日に架ける勇気を貰って、また笑顔で生きて行こうと思い、taxiに乗って家路に向かう^::。
 正しく、ケセラセラだな^^。晴れやかな気持ちに包まれて、今宵も過ぎ行く:::。

 今回はここまで::。格チャンも、FMWやメヒコのEMLL、アメリカのMSWA他も準備万端でラインナップも多国籍時代を迎え、楽しみ::。

 次回は、このユニバでの出会いが、全女のvideo seriesの実況に抜擢された秘話、他をお届けしますので:::^。また、ハプニング発生::

 では、あなたのハートにぺロ・アグアヨとmiruhonnet,ーadios amigo
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1996年5月ロスの『プロレス平和の祭典』前日パーティ会場の「ニューオータニ」で、ぺロと約5年振りの再会を果たす^^・・。その時に貰ったサインです!

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