今週の「マット界舞台裏」は、最後まで山本小鉄氏が口にすることがなかった苦しい時期の胸の内を代弁する!

10.09.09BUTAIURA.jpg 鬼軍曹と知られた山本小鉄氏が8月28日、低酸素脳症で死去した(享年68)。
 小鉄氏といえば現役引退後も、道場に顔を出してトレーニングを止めることなく、パンプアップされた体でテレビ解説を務めたり、バラエティ番組に出ていたこともあって、まだまだ元気というイメージがあっただけに驚きが隠せない。
 通夜、告別式の模様や各団体で行われている追悼セレモニーの模様が大々的に報じられ、改めて小鉄氏が日本プロレス界にとって貴重な存在だったことを証明された。
 新日本プロレスが掲げる「ストロングスタイル」はアントニオ猪木が作ったのではなく、小鉄氏が作ったと言う者も多数いるくらいだ。
 小鉄氏に世話になったレスラーも多く、前田日明を筆頭に小鉄氏に関するエピソードが紹介されている。そのほとんどがいわゆるいい話であり、「小鉄さんは恵まれたプロレス人生をおくった」という意見が大変を占めている。
 後輩レスラーやファンに愛され、生涯プロレス界で働き続けた小鉄氏のプロレス人生は、実に順風満帆に見るが、実際のところそんな生易しいものではない!
 なにせ小鉄氏はあのアントニオ猪木が新日本プロレスを立ち上げ、様々なトラブルや事件を巻き起こしてきた際、最も猪木の側にいた人物の一人なのだ。
 当然、小鉄氏だけが何のダメージを受けなかったなんてことはあり得ないし、精神的にもツライ時期はあった。悔しい思いだってたくさんしている。
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 しかも長州力や藤波辰爾らは結局そういうものが積もり積もって、猪木に対して不満をブチまけて新日プロを飛び出していったが、小鉄氏はそういった不満や愚痴を決して口にすることなく、最後まで新日プロに残った。
 そこで小鉄氏が悔しい思いをしていた時期に、新日プロ担当記者として側で取材していた元『週刊ファイト』編集長の井上譲二氏が、山本小鉄氏追悼企画として彼が最後まで口にすることがなかった苦しい時期の胸の内を“代弁”する! 小鉄氏を苦しめた出来事とは? その人物とは?

週刊マット界舞台裏’10年09月09日号