歴史オタク的プロレス史2 ~リングは戦場なり~

こんにちわ。歴史オタク、三瓶千詠です。

さて、前回は源平時代のファイティングスタイルをプロレスに置き換え、
源義経=アントニオ猪木による快進撃までお話いたしました。
今回はその後を追っていきます。

■プロレス界の危機!総合格闘技の脅威■
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源義経が平氏を滅ぼし、平泉で兄頼朝に討たれると、いよいよ鎌倉幕府が始まります。
さて、この鎌倉幕府も源氏による支配はわずか三代で終わり、
以後は頼朝の正室であった北条政子の北条氏が執権を握っていきます。
北条時宗が政治を担っていた鎌倉中期、日本を揺るがす大事件が起こります。
当時大陸を支配していた元とその属国高句麗によって日本侵略が行われたのです!
俗にいう「元寇」もしくは「蒙古襲来」でございます。
これはK-1やPRIDEといった総合格闘技の台頭により、
プロレス界の人気が低迷した件に置き換えられると思うのです!
(もちろん、プロレス人気の衰退はそれだけが理由ではございませんが…)
総合格闘技のファイティングスタイルを前にプロレスラーが悉く敗北する様は、
まるで日本軍の一騎討ち戦法が元軍の集団戦法に打ち負かされたが如く!
しかし、だからといってどちらが優越かが分かれたというわけではございません。
ファイティングスタイルの違いによって勝敗が分かれてしまったのだと思う次第でございます。
また、一騎討ちには「暗黙の了解」がありました。
それは一騎討ちの間他者は割り込まないということですが、これに対し元軍の戦闘スタイルは集団戦法だったので、日本軍のルールがまったく通用しなかったのでございます。
さて、プロレスにおける「暗黙の了解」ですが、これは衰退の理由の一つでもある
”シナリオありきの試合展開”でございました。
それは”ガチンコ勝負”を基本とする総合格闘技に通用しなかったのです。
とはいえ、プロレスの試合は、
「強ければ勝つ」という
単純明快な総合格闘技には見られない、独特の空気を醸し出していると思うのです。
対戦相手にはそれぞれ個性豊かな人間性や得意技があり、それを加味した試合の流れは、
見れば見るほど味が出てきます。
噛めば噛むほど味が出る、まさにスルメの様な試合を見せてくれるのです!
従来のプロレスファンはそんなスルメスメールの試合を愛しているのでございましょう。
また、元寇によって日本が元に支配されたわけではありません。
一騎打ちが通用しないとわかればその流派にのっとったスタイルで応戦しました。
プロレスも、決してK-1やPRIDEに支配されたわけではないのです。
次回は元寇の危機を乗り切ったプロレス界の戦国時代に焦点を当てます。

山口敏太郎事務所 三瓶千詠(みかめゆきよみ)