鈴木みのるプロ20周年~ポール・レイゼンビーを覚えているか?

 鈴木みのるが20周年興業を6月17日に開催する。モーリス・スミスとのエキシビション・マッチも予定されていて、後楽園ホールはすでに売り切れだそうだ。井上譲二の『マット界舞台裏』最新号には、89年『U-COSMOS』の真相が明かされていたばかりである。
 ポール・レイゼンビーのことを覚えている総合ファンが、どれだけ残っているのだろうか? 97年にパンクラスに初来日。初戦で柳澤龍志に敗れるもその戦いぶりを認められ、一ヶ月後に船木誠勝とのメインイベントに抜擢されたこともある。彼はパンクラス初のカナダ人選手ということで、旧横浜道場に泊まりこんで実践特訓を受けた貴重な外国人体験者の一人だ。
08.6.15paul.jpg
俳優として、スティーブン・セガールのビデオ映画にもチョイ役で出たそうだ(HPより)

 日本では忘れられた存在かもしれないが、北米のマット界では、格闘家兼プロレスラーとして、ずっと活動していた。また、彼は頭の切れる逸材であり、いろんなプロモーションの裏方でもある。日本で放送されることのないまま消滅してしまったボードック・ファイトの実況解説者としても知られており、文章も書けることから格闘技ライターの肩書も持つ。
 そんなレイゼンビーも40歳を迎えて、鈴木みのるに横浜道場で半殺しにされた体験談をブログに公開している。
 それは彼の人生でも、もっとも衝撃的かつ、生死をさまよったかのような30分間だったらしい。「”小さな悪魔”であるミノル・スズキに、500種類のサブミッションを次から次へと極められて、三途の川を見た」そうだ。
 ようやくしごきが終わって「フィニッシュ」の言葉がスズキの口から洩れたとき、「人間の口から発せられる最も甘美な言葉に聞こえた」んだそうである。
 もっとも話はここでは終わらない。ようやくこの地獄の儀式から解放されて、さぁもうシャワーでも浴びて、すぐにでもベッドに横になりたいと思ったそのとき、鈴木が手をとって、「クエスチョン?」と声をかける。一瞬なんのことかとためらうレイゼンビーであったが、今度はスズキが次の一時間半にわたって、個人レッスンをしてくれようとしたのに気づくのだ。
 
 「スズキって、いい奴じゃん!」
 こうしてレイゼンビーは、サブミッションの何たるかを体に叩き込まれたというお話である。
 キックボクシング王者モーリス・スミスのガチンコの恐怖から固まってしまい、試合から逃げてしまって負けてしまった鈴木。あの体験がなかったら、日本の総合の歴史はまた違ったものになっていたに違いない。
 そして、その鈴木に格闘技のイロハを教わったレイゼンビーは、マット界のスポークスマンとして、経験者の視点を発信し続けている。
 どこかで鈴木は、くしゃみをしているかも知れない。
inouejojiz075.jpg
 レイゼンビーのコラム原文
週刊マット界舞台裏’08年6月19日号