「70歳のキックボクサー」上田勝次がFMW 6・21後楽園に向け最終調整!

 キック黄金時代に活躍した“70歳のキックボクサー”上田勝次。その闘志はいまだ衰えず、超戦闘プロレスFMW 6・21後楽園大会でもリングに上がる。FMW vs UWF全面対抗戦において、上田は橋本友彦、松崎和彦と組み、藤原喜明&冨宅飛駈&池田大輔とノーロープ有刺鉄線デスマッチで対戦する。決戦を前に、上田はキックボクシング・藤本ジム(東京都目黒区)で最終調整。練習終了後に、試合への意気込みを聞いた。
(超戦闘プロレスFMW)
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――練習、お疲れ様でした。藤本ジムでは、よく練習されるんですか?
「いや。自宅にサンドバックもウエイトの道具もあるんで、ふだんは家でやってます。藤本(勲)会長とは仲が良かったから。今日使わせてもらったんだよ」

――上田さんは、まさにキック全盛期に活躍されたんですよね?
「そうですね。テレビも3局でやってたんじゃないかな。俺はウエルター級、沢村(忠)さんがライト級、藤本さんがミドル級、斉藤天心がヘビー級だったかな・・・」

――沢村さんとはスパーリングしたことはあるんですか?
「ありますよ。強かったですね」

――どういうきっかけで、キックを始められたんですか?
「最初は中学を卒業して、名古屋に行って、ボクシングをやってたんです。でも、ちょっと事情があって、やめて長崎にいったん帰りました。その後、19歳で東京に出てきて、ボクシングをやって・・・。剛柔流という空手もやりました。それで、沢村さんが出てきた頃、キックに興味をもって始めました。22歳だったかな。まだ3カ月しかやってないのに、タイに行かされてデビューしましたけど、負けましたね」

――日本タイトルを取るまで、どれくらいかかったんですか?
「7カ月くらいですね。昭和44年(1969年)1月22日、品田(尹久夫)という選手に判定勝ちしました。東洋チャンピオンになったのは、その年の6月だったかな。引退するまで、両方のタイトルを持ってたんですよ」

――いくつで引退されたんですか?
「24歳で辞めました。後楽園でタイトルマッチやって、引き分け防衛だったんだけど・・・。ちょっといろいろ事情があってね。その試合を最後に辞めようと覚悟してたんです」

――キックを辞めた後、格闘技はやられていたんですか?
「やってない。ウエイトだけですね。ボディビルやってた頃もあったけど・・・」

――そこから、長いブランクがあって、FMWで復帰することになったんですか?
「そうですね。復帰したのは43のときかな。大仁田(厚)クンが、まだ全日本にいた頃、飲み屋で彼と知り合ってね。彼はヒザをケガして、やめたんだけど・・・。FMWを旗揚げしたばかりの後楽園(1989年10月)で、大仁田クンや(ターザン)後藤さんと会って。空手の青柳(政司)と大仁田クンが異種格闘技戦やったときだね。そしたら、俺は聞いてないのに、『上田勝次(本名は上田勉)というキックボクサーが試合する』ってことになっててね。完全な事後承諾だよ。でも、そのときは格闘技のトーナメントをやるっていうから、『まあ、いいか』って感じで・・・」

――それで継続参戦されるようになったんですね。当時のFMWはデスマッチ路線のほかに、格闘技路線もあって、いろんなジャンルの格闘家と対戦しなければならなくて、大変だったのでは?
「そうだね。プロレス、ボクシング、柔道、テコンドー・・・いろいろいたね。でも、まだ俺も若くて、体重も95キロあったから、グラウンドになっても対抗できたけど・・・」

――上田さんといえば、FMWの若手選手の厚い壁になっていたのが、印象的です・・・
「俺もガンガン蹴ってたからね(笑)」

――FMWの若手選手で印象に残ってるのは?
「やっぱり、江崎(英治=故ハヤブサさん)だよ。アイツはムキになってかかってきたからね」

――FMWの後はどういった団体でファイトされましたか?
「大仁田クンが引退して、新生FMWになって、しばらくは出てたけど・・・。その後は、維新力さんと親しくてね、その紹介で、ジョージ高野の北海道の団体(FSR)に何回か上がりました。ジョージとは3回やって、1勝1敗1分けでした。今FMWに出てる戸井(克成)クンともやりましたね。その後。96年にK-1で、角田信朗とやったんだけど、1ラウンドに倒れたら、それでKO負けになった。52歳のとき、石川孝志の新東京プロレスで引退試合をやって、セレモニーもやったんだ。そういえば、その興行をプロモートした荒井(英夫=アルファジャパン・プロモーション会長)さんと、この前のFMW 5・14新木場の会場で久しぶりに会って、ビックリしたよ。あの人もボクシングやってたんだよね」
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――引退試合をやっても、オファーは続いたわけですよね?
「そうだね。俺は『引退したんだから、まずいだろ』って思ったけど、『リングに立つだけでもいいから』なんて言われてね・・・。ニセ大仁田の森谷(俊之=故人)に頼まれて、国際プロレス・プロモーションに出たね。でも、ギャラは鶴見(五郎)さんじゃなく、森谷が払ってたみたいだけど・・・(笑)。知人の頼みで、ZERO-ONEの久留米(福岡)大会にも出たな。58歳くらいだったね。そのときは長州(力)さんや、大森(隆男)も出てたね。60歳の還暦のときには、後藤さんの新宿FACEでの興行(IBF=06年5月5日)で、(グレート)パンクとやりましたね」

――それで、またブランクを経て、昨年7月25日の大仁田興行・新宿FACE大会で試合をされたと・・・
「そうだね。頼まれてね・・・」

――大仁田興行3・14新木場では、70歳にして、リングに上がることになりました・・・
「この年でリングに上がるのはどうかと思うんだけど、何回も頼まれてね・・・」

――本題になりますが、FMW 4・27後楽園にも上がり、6・21後楽園にも上がることになりました。対戦相手の情報はもたれてますか?
「藤原とは、この前もやったけど、年寄り同士でやっても、おもしろくないよ。池田はバトラーツにいたんでしょ? ガンガン来る選手だと聞いてるから、俺は池田とやってみたいね」

――本当はシングル戦を希望されてたんですよね?
「そうだよ。だから、5・14新木場でも、そう言ったんだよ。だけど、希望が通らなかった」

――今回の試合形式はノーロープ有刺鉄線デスマッチなんですが・・・
「そうらしいね。つい最近知ったよ。デスマッチは慣れてないとできないよ。レスラーは慣れてるから呼吸の仕方もつかめるけど・・・。もうなるようにしかならないよ。実は27日から29日まで、長崎に帰るんだよ。だから、ケガはしないようにしないと・・・」

――初期のFMWで有刺鉄線デスマッチの経験はありますか?
「1度だけあります。川崎球場だったんだけど、自分と後藤さんとパンクと組んで、相手が(ビッグ)タイトン、(ザ)グラジエーター(故人)、リッキー(フジ)でしたね」

――今後もFMWに継続参戦するとしたら、やはりシングル戦を希望されるんですよね?
「もちろん。俺はボコボコに負けてもいいから、若い選手とシングルでガンガンやりたいんだよ。この前、1度当たったけど、長井(満也)選手とやってみたいね。3・14新木場でやった(ザ)シューターでもいいし・・・。山近(義幸)代表に言っといてください!」

――試合をする以上は、同世代の人へのメッセージもあるわけですよね?
「そうですね。今でもトレーニングを欠かさないし、70歳で、こんな肉体してる人いないでしょ? だから、自分の試合で同世代の人に勇気を与えられたらうれしいね」

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