[週刊ファイト5月22日期間 [ファイトクラブ]公開中
▼追悼・ハードコア先駆者サブゥー!インディーの帝王が遺した爪痕
編集部編
・ハードコアの狂気を愛した孤高の戦士、サブゥー逝く
・ 「インディーの帝王」サブゥーが築いた伝説的ハードコアスタイル
・メジャーにも足跡を残した王者の系譜
・引退から僅か3週間での訃報が示す、最後まで闘い抜いた覚悟
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③TCW旗揚げ戦 2018年9月27日
サブゥー vs. 田中将斗 vs. 宮本裕向 特別レフリー グレートニタ
ハードコアの狂気を愛した孤高の戦士、サブゥー逝く
2025年5月11日(日本時間12日)、世界最大のプロレス団体WWEが公式に伝えた一報は、多くのプロレスファンに深い衝撃をもたらした。FMW、新日本プロレス、ECWなど、日米インディーとメジャーの垣根を越え、数々の団体で“唯一無二”の存在としてリングにその名を刻み続けたサブゥーことテリー・ブルンクが、60歳でその波乱と狂気に満ちた生涯の幕を閉じた。
1964年12月12日、米デトロイトに生を受けたサブゥーは、伝説のヒールレスラーであるザ・シークの甥としてその血を受け継ぎ、1985年にプロレスデビューを果たした。早くから危険技のオンパレードで観客を魅了し、1991年にはFMW初来日。椅子、机、有刺鉄線にムーンサルトを叩き込むそのスタイルは、観る者の常識を破壊し、爆発的な人気を博した。
ECWでは1993年10月に世界ヘビー級王座を獲得し、テリー・ファンクとの過激な抗争は今なお語り草となっている。その後、WCWやWWF(現WWE)、新日本、全日本と舞台を問わず戦い続け、1995年には新日本でIWGPジュニアヘビー級王座を奪取。ハードコアという名の狂気を内包しながら、誰よりも高いプロレス技術を誇る選手として尊敬を集めた。
2004年には病に倒れ長期欠場を余儀なくされたが、復帰後も戦い続け、2006年にはWWEと正式契約。ECWワン・ナイト・スタンドではテリー・ファンク、シェーン・ダグラスとの三つ巴の有刺鉄線デスマッチに勝利するなど、文字通り血で語られる試合を積み重ねた。2007年にWWEを退団後も、インディー団体を転戦し、最後の最後まで“ハードコアの魂”を背負いリングに立ち続けた。
そして2025年4月18日、ラスベガスでの引退試合を終えたばかりだった。その引退をもって、名実ともにプロレス界の伝説となったはずの男は、皮肉にもその一ヶ月も経たぬうちにこの世を去った。
WWEは「深い悲しみに包まれている」と公式サイトで追悼の意を示し、椅子や有刺鉄線を駆使したハードコアスタイルの先駆者であり、レイ・ミステリオやジョン・シナとも王座戦を繰り広げたスーパースターだったと称えた。レッスルマニア23では、8万人の大観衆を前に“ECWオリジナルズ”として勝利を飾ったことは、サブゥーの輝きの象徴である。
そのキャリアは、勝敗以上に記憶と衝撃で構成されている。狂気を装いながらも一切の手抜きを許さず、命を削るようにリングへ飛び込む姿こそ、サブゥーというレスラーの真骨頂であった。静かに幕を閉じたその生涯に、ファンは敬意と感謝をこめて、こう言うしかない。「あなたがいたから、我々はプロレスに狂えた」と。インディーの帝王、サブゥーよ、どうか安らかに。
「インディーの帝王」サブゥーが築いた伝説的ハードコアスタイル
1985年、ザ・シークの薫陶を受けてリングに立ったサブゥーの姿は、後のハードコア・レスリングの未来を予言していたと言っても過言ではない。身長183cm、体重約105kgの肉体は、空を飛び、鉄をも砕く狂気に満ちた武器と化し、プロレスが持つ暴力と芸術の境界を意図的に曖昧にしていった。彼が「インディーの帝王」と呼ばれるようになるまでの道のりは、まさに己の肉体と言葉を超えた表現で築かれた血と汗の軌跡そのものである。
1991年にFMWに初来日した際には、ザ・シークとのタッグで登場し、日本の観客に強烈なインパクトを与えた。それまでのアメリカン・プロレスの印象とは異なる、まるで暴動のような試合展開、机や椅子を振り回す乱戦の中で、サブゥーは己の体すら道具に変え、文字通り命を削るスタイルを日本のマットに刻みつけた。机に向かってのトペ・コンヒーロや、椅子を踏み台にしたアクロバティックなムーンサルトなどは、今でこそ広く知られているが、その源流を辿ればサブゥーという名に行き着く。