[週刊ファイト1月30日]期間 [ファイトクラブ]公開中
▼サトシ、クレベル知り合い早13年 ケーシーのボンサイ柔術との思い出
ケーシー&編集部編
・DEEP浜松プロモーター、ブルテリアボンサイ柔術立ち上げ服部啓さん
・ボンサイ柔術シュレック関根:青帯、クレベル:紫帯、サトシ:茶帯の時代
・入院した時、ブラジル国旗に激励の寄せ書きを書いて持ってきてくれた
・磯部師範のお言葉~身体の動くうちはボンサイ柔術のを応援していく
2024年大晦日、ホベルト・サトシ・ソウザがヴガール・ケラモフに圧勝し、クレベル・コイケがメインで鈴木千裕に勝利してRIZINフェザー級王者に返り咲いた。
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筆者には大満足の結果だったが、ふとボンサイ柔術と知り合った時の事を思い出した。
DEEP浜松プロモーター、ブルテリアボンサイ柔術立ち上げ服部啓さん
ボンサイ柔術と知り合ったのはまず、2011年1月に若くして亡くなったDEEP浜松のプロモーターであり、ブルテリアボンサイ柔術立ち上げメンバーである服部啓さん。
啓さんは名古屋DEEP公武堂ファイトのスタッフもしており、その時に知り合い仲良くさせて頂いた。
似顔絵をプレゼントしたりしたが、その時には悪性リンパ腫の治療中で、入退院を繰り返していたという。
啓さんが亡くなった時も、まずお姉さんから筆者に連絡が入り、長谷川社長に連絡し佐伯さんに伝えてもらった形だった。
啓さんの告別式には似顔絵も飾ってあって涙が止まらなかった。
その時はボンサイ柔術の人はシュレック関根さんと会ったことがあるくらい。サトシもクレベルも話したことはなかった。
その後、啓さんのブログを書いたところ、ボンサイ柔術の磯部師範がブログを見てくれ知り合うこととなった。
DEEP浜松や、柔術大会、REALに観戦に行き、サトシ、クレベル、マルキーニョスとも親しくなっていった。
ボンサイ柔術シュレック関根:青帯、クレベル:紫帯、サトシ:茶帯の時代
その頃はシュレックさんは青帯、クレベルは紫帯、サトシは茶帯の時であった。
クレベルは柔術と並行してMMAの試合もコンスタントに行っており、DEEP浜松のメインはクレベルが多かった。
筆者はブルテリアボンサイ柔術ジムには入会していないのだか、みんなに良くしてもらい大会後のチーム写真にもいつも入っていた。
東京の試合の時は坂本健さんがバスをチャーターし、バスツアーで一緒に応援に行った事もあった。
バスの中でクレベルは寝ている人にいたずらばかりしていた。
入院した時、ブラジル国旗に激励の寄せ書きを書いて持ってきてくれた
ボンサイ柔術の坂本健さん、サトシ、クレベル、マルキーニョス、シュレックさん、磯部師範らには何枚似顔絵を描いてプレゼントしたかわからないぐらい応援していた。
その後、筆者が啓さんと同じ病気、悪性リンパ腫を患って隔離病棟に入院した時は磯部師範がボンサイ柔術ジムの人に声をかけブラジル国旗に激励の寄せ書きを書いて持ってきてくれた時は心から感謝し号泣した。
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