NYメッツの千賀投手は歌舞伎役者!? いやいやザ・グレート・カブキ

トップ画像:photo by George Napolitano

 秋も本番を迎え、野球はいよいよ佳境に入り、ポスト・シーズンに突入だ。海の向こうのメジャー・リーグ(MLB)では、日本プロ野球(NPB)のクライマックス・シリーズより一足先にディビジョン・シリーズ(プレーオフ地区シリーズ)が始まっている。
 特にロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手は、その第1戦でいきなり3ランを放ち、日本でも大々的に報じられた。

 だが、現地のアメリカでは、大谷はそれほど有名人というわけではない。もちろん、ロサンゼルスでは大谷の活躍は注目されているが、あくまでも地域限定の人気だ。アメリカでの野球は、日本よりもフランチャイズ制が確立されているので、地元以外のチームには関心を払わないのである。
 日本で言えば、阪神タイガースがリーグ2連覇を逃したと言っても、東京のメディアが全く報じないようなものだ。実際には東京にも阪神ファンは多く、東京でも阪神の動向は注目されているが、このあたりは日本とアメリカとの国土の広さの違い、そして中央集権国家の日本では想像できない連邦国家たるアメリカ合衆国の事情だろう。

 アメリカの東海岸で、大谷よりも注目された日本人はニューヨーク・メッツの千賀滉大投手だ。遠く離れた西海岸の大谷よりも、ニューヨーカーにとっては地元の千賀の方に関心があるのは当たり前と言える。

▼大谷翔平もニューヨークでは無名!?(写真はロサンゼルス・エンゼルス時代)
photo by George Napolitano

ジャパニーズ・ドリームを実現させた千賀投手

 今年の千賀滉大は怪我もあって僅か1勝、故障者リスト入りするという不本意なシーズンだった。しかし、フィラデルフィア・フィリーズとのディビジョン・シリーズ第1戦で先発登板するという大役を担う。
 残念ながら2回1失点で降板、満足のいく投球とは言えなかった。とはいえ、故障明けのぶっつけ本番、しかもディビジョン・シリーズ第1戦という大事な試合で先発を任されたのは、それだけ信頼されている証拠だろう。

 千賀はメジャー1年目の去年は12勝7敗、防御率2.98という好成績を残した。特筆すべきは奪三振率10.93という高さだろう。日本ではお化けフォークと呼ばれ、アメリカでも直訳されたゴースト・フォークはメジャーのスラッガーたちをキリキリ舞いさせた。
 しかも昨年はオールスター戦にも選ばれ、故障さえなければ今季もメッツの中心投手として活躍していたに違いない。

 もちろん、千賀は日本でも福岡ソフトバンク ホークスのエースとして君臨し、2020年には最多勝・最優秀防御率・最多奪三振の投手三冠に輝いた。
 侍ジャパンにも何度も選出され、2017年の第3回WBCではベストナインにも等しいオールWBCチームにも選ばれている。当然、その頃から千賀はMLBの各球団から熱視線が注がれていた。

 だが、千賀は決して野球エリートではない。甲子園には程遠い無名の県立校である蒲郡高校出身。それでもプロのスカウトの目に留まり、育成ドラフト4巡目でソフトバンクに入団する。
 育成選手は一軍の試合には出られない。プロ1年目は二軍の公式戦すら登板できなかったものの、2年目の春季キャンプで頭角を現し、シーズン中に支配下選手登録される。その年に念願の一軍登板を果たした。

 飛躍の年となったのはプロ6年目の2016年、先発ローテーション入りを果たした千賀は12勝を挙げて初の2ケタ勝利。翌2017年には13勝を挙げて優勝に貢献し、育成選手からソフトバンクのエースにのし上がった。
 千賀の野球人生はまさしくシンデレラ・ストーリー、ジャパニーズ・ドリームそのものと言ってよい。そして今は、アメリカン・ドリームを実現させようとしている。

photo by George Napolitano

ザ・グレート・カブキから千賀投手に伝授して欲しい極意!?

 プロレスラーで千賀滉大投手と似た人生を送ったのがザ・グレート・カブキだ。柔道はしていたものの全くの無名で体も小さく、中学卒業と共に日本プロレスの門を叩いたカブキはエリートとは真逆のレスラーだった。
 当時のプロレス界では、エリートと叩き上げの差が激しく、カブキのような選手がメインにのし上がることはまずない。当時、力道山が亡くなったばかりの日プロでは人員整理が行われ、当然のことながらカブキもその対象となっていた。

 しかし、そんなカブキを日プロに残してくれたのは、幹部だった芳の里淳三だ。それ以来、カブキは芳の里のことを『オヤジ』と慕うようになる。
 漫画『プロレススーパースター列伝』(原作:梶原一騎、作画:原田久仁信)でのカブキは、後に日プロの社長になって銀座の高級クラブをハシゴする芳の里のことを軽蔑していたが、実際には芳の里を尊敬していたのだ。

 日プロ末期、カブキ(当時のリング・ネームは高千穂明久)は、かつてアントニオ猪木が腰に巻いていたUNヘビー級ベルトを奪還する。もっとも、これは猪木やジャイアント馬場らが抜けて、要するに人材不足による戴冠だった。
 間もなく日プロは崩壊し、芳の里の指示によりカブキは馬場の全日本プロレスに移籍。社長だった芳の里は、日プロに残ったレスラーたちが路頭に迷わないように手を回したのだ。

 全日に活躍の場を移したカブキだったが、その地位は決して高くなく、入団したばかりで次期エース候補となったジャンボ鶴田のサポート役に回る。
 やがて、コーチ役だったマシオ駒が急逝すると、カブキがその役目を担うことになった。

 コーチとしてレスラー人生を終えるのを嫌い、元々日本よりもアメリカの方に水が合っていたカブキは、馬場にアメリカ行きを直訴する。渡米したカブキは1981年、ザ・グレート・カブキに変身した。
 当時は珍しかったペイント・レスラーとしてデビューしたカブキは大ブレイクする。人気レスラーとなったカブキは全米でも引っ張りダコ、まさしくアメリカン・ドリームを実現させた。

 メッツの千賀は、まだアメリカン・ドリームを手にしたとは言い難いが、投手としてのポテンシャルは大谷翔平に勝るとも劣らない。千賀に必要なのは、大谷に匹敵するインパクトだろう。
 アメリカで成功するには、ザ・グレート・カブキに倣って顔にペイントを施し、マウンド上で毒霧を吐くといいかも!?


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