[ファイトクラブ]小林邦昭さん逝去 超貴重グラフ 虎ハンター誕生大阪~最後のリング

[ファイトクラブ]先行公開 [週刊ファイト9月19日号]収録

▼小林邦昭さん逝去 超貴重グラフ 虎ハンター誕生大阪~最後のリング
 photo & text by 西尾智幸
・9月9日すい臓がんのため68歳で死去
・初代タイガーとの抗争で一躍ブレイク
・貴重!虎ハンターが誕生した1982年10月26日の写真公開
・全日本で2代目タイガーとも抗争
・新日本に出戻り、平成維新軍としても活躍
・最後の試合となった2017年東京ドームでの一戦


小林邦昭さん逝去 超貴重グラフ 虎ハンター誕生大阪~最後のリング


 9月9日、虎ハンターの異名で活躍した、小林邦昭さんが死去された。原因は、はっきりと公表されていないが、今年の2月にすい臓がんが発覚。以降、闘病生活を送っていたため、これが原因と思われる。
 30年以上に渡り、大腸癌、肝臓癌、肺癌と患い、都度克服したきた不屈の男だったが、今回は無念のタップアウトとなってしまった。
 小林さんは、1956年1月11日生まれ。1972年に新日本プロレスへ入門。1973年2月1日に栗栖正伸戦にてデビュー。1980年にメキシコに渡り、1982年にはアメリカでも活躍。NWAアメリカス・ヘビー級王座も獲得したが、まだそこまでの人気ではなかった。一気に小林邦昭の名前を広めたのは、同年10月に凱旋帰国したあと、初代タイガーマスクをターゲットにし、その抗争が名勝負数え歌となり、一気にブレイクしたのだ。
 初のシングル対決は10月26日、旧大阪府立体育会館でのWWFジュニアヘビー戦。

 因みに、猪木vs.ブッチャーが観たくて当時チケットを買ったが、国際軍団との対戦に変更された中止になった。ブッチャーは坂口征二と対戦。またポスターの段階ではキッド・コビーと海外でのリングネームになっていたが、この名前は使わずに帰国後は小林邦昭で通した。

 この日も、どう入っているのか分からないほど、会場はパンパン!

▲この画像のみビデオよりキャプチャー

 タイガー24歳、小林26歳とまだまだ若い! 
 試合は、一進一退の攻防のあと、タイガーマスクのダイビングボディープレスやダイビングヘッドバット、また小林の場外へのプランチャーなどで大いに沸いたが、突然小林がタイガーのマスクに手をかける。レフェリーの静止を再三無視し、最後は16分57秒で反則負けとなるが、タイガーは初めてマスクを破られ屈辱を味わう。


 試合後も大暴れする小林。物が投げ入れられ、タイガーはズタボロでリングを後にした。
 これがいわゆる〝虎ハンター″誕生の瞬間である。
 ここから、タイガーの好敵手となり、11月(蔵前)、翌82年1月(後楽園)と小林相手のタイトル戦が行われる。
 そして同年2月には再び大阪府立に戻り、WWFジュニアをかけて激突。


 この時の小林は、赤いマーシャルアーツのパンタロンから白と黒の半々のショートパンツになっていた。タイガーの四次元殺法に負けないくらい、小林もバックドロップや必殺のフィッシャーマンズ・スープレックスを繰り出すが、最後は一瞬のエビ固めに惜敗した。
 しかし、タイガーが1983年8月に突如引退したことでこの抗争もピリオド。

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