[ファイトクラブ]出会いキラーカンの店ネクロ・ブッチャー 我が心のスイートバージニア

[週刊ファイト6月15日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼出会いキラーカンの店ネクロ・ブッチャー 我が心のスイートバージニア
 photo & text by 大島慶山 w/編集部編

 昼下りの新宿でCDとかレコードの秘宝探索をして、ふと、西新宿界隈に移転してきたキラー・カーンさんのお店「カンちゃんの人情酒場」を探して立ち寄った。
※東京都新宿区西新宿7-7-24 GS新宿ビル B1F

 新大久保にお店を構えてるときは色んなプロレスラーや、マスコミの友人たちと酒を酌み交し、料理に舌鼓をうちながら、カン(カーン)さんの色んなエピソードを聞かせてもらい、時間の経つのを忘れたものだ。

 尾崎豊が、好物だったカレーライスもよく食べた。店内のメニューは一通りは、食べたと思う。元新日本プロレスの小林邦昭さんじゃないから、(新幹線の食堂車のメニューを、東京→大阪間で、全メニュー平らげたとの逸話を持つ)一夜ではないけど。
 奇をてらってはいない家庭的なシンプルな味付けに盛り付けで、価格も手頃だから頼みやすい。店内にはお店に訪れたことのある、国内外の著名レスラーの写真やサインが、所狭しとばかり、飾ってある。カンさんが、したためた書籍や、美声を披露したCDや、直筆サイン色紙や、オリジナルデザインのTシャツも販売している。ご飯ものやパンもある。飲み物はノンアルコールもあり、ボトルキープもできる。
 今は、昼間の昼カラ営業は休止しているが、筆者が立ち寄った時はネクロ・ブッチャーが来ていた。偶然の再会で驚いた。日本在住の友人とレジェンドレスラーでもある、大先輩キラー・カンの店にきたようだ。大日本プロレスでのツアースケジュールを終え、離日する前に来たらしい。

 ネクロ・ブッチャーとは数えきれないぐらい会っているが、直近のはシャドウWXのMLW大阪大会(2019年12月15日)以来だ。リング上での狂乱ぶりとは想像つかない大人しさで、控室やバックステージでは、いつも読書をしていたのを思い出す。
 ブルーザー・ブロディもそうだったらしい。ネクロもまた、インテリジェント・センセーショナルなのだ。2016年に一度引退したが、3年後に前記のMLWで復帰して今に至る。引退前ほどのスパンでは試合はしてないが、相も変わらずのハードコアな試合を繰り広げている。
 この日はネクロ・ブッチャーと、彼の友人男性と、93歳のカラオケ好きのお爺さんの4人で、昼下りの宴を楽しんだ。お爺さんはネクロ・ブッチャーに名前を尋ねて、彼が、「ネクロ・ブッチャーです」と答えると、「ブッチャー、おでこがギザギザで、よく血を出してたね。黒人のレスラーで・・・」と、本人を目の前にしてるのに、アブドーラ・ザ・ブッチャーと全く似てないのに、勘違い(?)したのには、笑った。お年寄りだし、プライベートだし、ネクロもそんなことでは微塵とも怒ることはなく、微笑んでいた。

 そんな一般のお爺さんが、力道山が、基地の慰問プロレスを行った際に(※公式記録にはない、一般非公開か、勘違いかもしれない)、その慰問プロレスのスタッフをしたと言う。オフでそのお爺さんが、シャープ兄弟と、試合前の束の間の休憩に飲食を共にしたと語りだした。
 彼らはハンバーガーを15個ずつペロりと平らげたんで、日本人のスタッフは、「そりゃ、アメリカと戦争したら負けるわなと、口々に語って驚いていたよ」とエピソードを話してくれた。一般の方だし、失礼ながらご年配だし、お酒も入ってたから、話の信憑性は微妙だけど。当初、シャープ兄弟のことを、やたらと「ラッシャー兄弟」と言ってたから、そんなレスラーいてたかなと思った。ハンバーガーの大食い話より、慰問プロレスの詳細、真偽が知りたい。

 店主のカンさんの美声は有名だが、この日の昼カラでは、筆者含む男性4人で、マイクをまわしながら歌った。ネクロ・ブッチャーは、ジョン・デンバーの名曲「カントリーロード」一曲だけだが、フルコーラス披露してくれた。歌詞にでてくるウエストバージニア生まれなので、遠い異国ファーイースト ジャパンで懐かしくなったのかもしれない。
 カラオケの映像で流れたのは、亡きオリビア・ニュートン・ジョンがカバーしたバージョンだったけど。ジョン・デンバーは、自らが操縦した飛行器での不慮の事故で天国へと旅だったが・・・。生前は元アメリカ大統領のジョン・カーターとの交流が深く、その縁でミスター・レスリング2号ことラバーマン・ジョニーウォーカーとも友人関係で、プロレスファンだったらしい。

 ジョン・カーターが、ミスター・レスリング2号にヘッドロックをかけている写真はよく目にするが、ミスターレスリング2号と、ジョン・デンバーのプロレス会場、ライブ会場含む様々なロケーションでのオフショットは、公式には残ってはいないし、筆者は、残念ながら現時点、目にしたことはない。素顔の2号が、ライブ会場で、「カントリーロード」を客席で歌ったり、デンバーが、プロレス会場で 熱い声援をしていたかもしれない。
 来日しているが、残念ながらミスター・レスリング2号としては参戦はしていない。ミスター・レスリング1号(ティミー・ウッド)とのコンビで、全日本プロレスか、新日本プロレスに参戦してほしかった。ちなみにジョン・デンバーの名前は本名ではなく、コロラド州デンバーから引用したらしい。かつてAWAのテリトリーで人間風車ビル・ロビンソンが、鉄腕スーパースター・ビリーグラハムとのIWA世界ヘビー級 (国際プロレス版)タイトルマッチが開催された土地として有名だ。
※実際はファントムで、同日時にはこのタイトルマッチは開催されていない、架空の記録。
※ロビンソン自身も、そのタイトルマッチは行われていないと語っている。

 当時、その試合のグラビアが掲載されていたのを覚えている。少年時代の筆者は、闘っているグラハムのリングシューズから見えている靴下の色が、写真により異なっていたので、疑惑が胸に残ったものだ。ストロング小林がビッグビルミラーから、IWA世界ヘビーを獲得したとのフレコミで凱旋したとき、しかり国際プロレスは、よく※ファントムを用いていた。
※架空の記録


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