間下勝つ! 春夏秋冬、そして17年目の春、ストロングスタイルの至宝初戴冠!!

 2007年9月のデビューから16年半。後楽園ホールでのシングルマッチでは初のメインイベント登場となった苦労人、間下隼人が強敵・真霜拳號をタイガースープレックスホールドで撃破。団体の至宝であるレジェンド王座を奪還。苦節17年目にして初めて団体トップに上り詰めた。

 長かったのだろうか…
 入門してからの16年半と、念願だった3カウント。
 間下隼人16年半のキャリアで、聖地・後楽園ホールにおいて初のシングルマッチでのメインイベントとなった2・22。
 後楽園ホールの通路、間下の背後に兄弟子、スーパー・タイガーが後衛に付いていた。通路を通る道すがら、平井代表と拳を合わせた間下隼人がリングに向かう。

 対角線には、兄弟子、スーパー・タイガーからストロングスタイルの象徴を奪っていった2AWの真霜拳號が立っていた。

 兄弟子、スーパー・タイガーに連勝してレジェンド王座を奪取した真霜拳號に挑んだ2022年10月、敵地2AWの2冠戦では一敗地に塗れていた。
 紛うかたなき強敵。


 スーパー・タイガーが譲る形でホームリングでのダイレクトリマッチとなった今回、見下ろした様な真霜のコメントからも間下の苦戦は予想された。

 序盤の場外戦まで一進一退の攻防が続き、エプロンで得意のサッカーボールキックをドラゴンスクリューの切り替えされた間下が劣勢に立たされる。




 真霜は間下が膝を痛めたと見るや、キックとグラウンドで攻め立てていく。




 劣勢の間下に、セコンドのスーパー・タイガーが檄を飛ばす。平井代表も思わずリングサイドに陣取って、マットを叩いていた。


 しかし16年からさらに4ヶ月の歳月を積み重ねたこの日の間下に、追い風も吹いていた。
 コロナ禍で規制されていた声援がこの日からマスク越しで解禁され、満員の会場の声援が真霜のそれを上回って間下を後押しする。


 ホームアドバンテージだ、と言うのは容易い。
 だがここは普通のプロレスのリングではない。ゴッチ、猪木、初代タイガーマスク/佐山サトルが受け継いだ正当派ストロングスタイルプロレスのリングだ。
 病を得て試合から離れてなお、絶対的なエース・初代タイガーマスク/佐山サトルの時代は続いた。団体名が変わるのと前後して、スーパー・タイガーと間下隼人がその1強時代にくさびを打ち込んできた。今回のリマッチも、間下の頑張りを認めたファンの拍手が後押しして成立した。
 スーパー・タイガーと平井代表と、会場の応援を背に逆襲に転じた間下は、真霜との壮絶な打撃戦を展開。膝を庇ってか左手の指を折られながらも気持ちで上回る。



 佐山サトル直伝のリアルデンジャラスバックドロップ、小林邦昭に教えを請うたフィッシャーマンズスープレックスライオットで畳みかけると、奥の手、タイガースープレックスホールドで強敵、真霜から完璧な3カウントを奪ってみせた。




 16年半の想いから溢れる熱い物を抑えきれない間下は時折上を向きながら、真霜に
「貴方のおかげで強くなれました心より感謝します。ありがとうございました」
と謝辞を伝え、もう一丁、の約束を交わす。

 そして
「ちょっと喋って良いですか?(大歓声)
入門して、佐山先生の弟子になって16年半経ちます。
辛いことが多かったです…でも俺は逃げなかったですし、辞めなかったです。
それは佐山先生を尊敬しているからです…
泣かないつもりだったけど、泣いてしまいました…
今日からストロングスタイルプロレスは、この俺、間下隼人が引っ張っていく!
文句ねえよな! (大歓声)
今日は御来場、熱い声援、本当にありがとうございました! 」
と、間下らしい言葉で大歓声を浴びると、2023年幕開けの大会を締めくくった。



 ファンと握手を交わしながら会見場に足を進めた間下は、
「めちゃくちゃ普通のこと言っていいすか」
と口を開くと、
「夢って叶うんだなって…諦めなければ、本当に」
と、間下らしい表現で言葉をつむぐ。

「シングルでしたけど…やっぱり色々な人が応援してくれて…倒れた時も後ろで支えてくれてる気がしました。
本当に、続けててよかったです
佐山先生は今、体調悪いですけど…帰って来た時に、ああ、スーパー・タイガー、桜木だけじゃない。間下も強くなったな…って、言ってもらえる様に、頑張ります。
ありがとうございます」

ーこれからどんなチャンピオンになっていきたいか?
「そうですね…ストロングスタイルプロレスを…っていうのは…やっぱり恐れ多いですけど、ストロングスタイルを背負っていく様な…
やっぱり、今リングに上がっている人たち。スーパー・タイガー、真霜さんもまだ上がってくるでしょうし、船木さん、シュレックさん、今日出てないですけど関本さん…
みんなストロングスタイルですから。
負けないように…根性だけは負けない様にしたいですね」

―3月(3・18アクロス福岡イベントホール)は凱旋興行になりますがが?
「そっか…嬉しいっすね、普通に嬉しいっすね。やっぱ…あんなすごい人達に蹴飛ばされても…
大丈夫な身体に産んでくれた母親に…片親で凄い迷惑かけたんですけど。
面倒見てくれた祖父さんにも…亡くなっちゃいましたけど、カッコ良いとこ見せたいですね」

―新しいベルトが似合いますねー
「ありがとうございます。
前のあの、白のベルトも…ずっと見てて。
でも、新しい時代が、このベルトと共に来た、と思ってるので。
歴代王者、スーパー・タイガー、船木さん…かつて佐山先生が闘った小林邦昭さん、ダイナマイト・キッド、ブラック・タイガー…レジェンドと呼ばれる選手達に負けない様なベルトにしていきたいと思います」
 間下がそう言いきって笑顔を見せると、傍らの平井代表が口を開く。

「17年前に間下がプロレスラーになりたい…っていうことで、19歳で東京に出てきた時に、本部に、佐山先生の面接に来たんですね。
 その後、一緒にお茶の水駅まで歩いて帰ってですね。
 この子は、これからどういうレスラー生活を送っていくんだろう、この厳しい世界で残っていけるんだろうか。それとも今日のようにチャンピオンになれるんだろうか…と思いました。
 佐山先生の指導はやっぱり厳しいので…色々な意味で厳しいので、辞めていく人間も多かったです。
 その中で、さっき本人も言ったように、スーパー・タイガーと間下だけが残って。
 やはり残ったことに対して…ある意味で、やったぞ! っていうことと、ざまあみろ! っていうことと、俺は残って、今ここにいて、この新しいチャンピオンベルトを腰に巻いてるぞ! っていうこととか、色々な想いがあると思うんですね。
間下がいつも僕に言ってたのが、『自分なんて』っていう言葉…『自分なんてどうせスターなれない。僕はスーパー・タイガーのようなバックボーンのあるサラブレッドでもない』っていうことをいつも言っていて…
 でも、努力すれば…絶対に、真面目に毎日を、辞めないで生きていけば、絶対、神様は見てくれるよ。っていう話をずっとしてたんですけれども…
 それが現実になってですね。
 だから今日、間下がチャンピオンになったことを、やっぱり色々な…夢を諦めかけてる若い人もそうですが…年齢関係ないと思います。20代、30代、40代、50代、60代、どんな年になってもですね。絶対に諦めなければ、続けていければ…絶対神様は見てくれてるっていうことを証明できたんじゃないか。そう思います。
 だから、絶対に夢を諦めちゃいけないっていうことを、あの日送っていった、どうなるか解らなかった間下がですね、体現してくれたっていうのが、それが1番大きいですね。
 間下が言ったように…今日本当に、計算してそうなったわけではないんですけども。初代タイガマスク後援会様が新しいベルトを造ってくれた、この出来上がったのがこのタイミングだった。そして、このベルトが出来上がった時に間下がチャンピオンになったっていうことは、本当に新しい時代が、新しいプロレス、新しいストロングスタイルプロレスの、うちの時代が、今また始まるっていうことが…それが見えたっていうことが、本当に嬉しいですね。
これからも間下と、スーパー・タイガーと一緒に、初代タイガーマスク後援会様と一緒に、そして応援してくれてるファンの皆様と一緒に進んでいきます。
 今日はこんなに声援を頂いて、僕もすごい嬉しいです。そして間下に対して、これだけのたくさんのマスコミさんのカメラが向いて…
 本当にだから絶対に夢を諦めちゃいけないし、絶対、真面目に毎日やることは絶対に身になる。
 それはもう、全世界共通だと思うんです。
 それを教えてくれたのが、間下であり、そしてその指導をしたのが佐山先生であり、先輩であるスーパー・タイガー、そしてその全体を応援してくれてるのが初代タイガーマスク後援会の皆様と…そして新間寿会長がみんなを見守ってくれている。
 だからこそ、我々は今こうして、団体も、正直言って、新間会長がいらっしゃらなければ、後援会がいらっしゃらなければ…もちろん佐山先生あってのこの団体、佐山先生の団体です。
 でも、皆様の想い、力、支援、報道してくれるマスコミの皆様のお力があって、こうやって間下の言葉も世界に発信していける。
 それを感謝の気持ちとして…自分の力だけじゃない。それを我々は解ってるつもりです。
 本当に感謝。その感謝の気持ちを忘れないで、感謝の気持ちを持って生きてるからこそ今
がある。そういうことだと思います」
と、謝辞を述べた。
 そして
「本当にありがとうございました」
と平井代表共々頭を下げた間下は、
「今日は自分を褒めてやりたいですね」
と笑いを誘って会見を締めくくった。

 メディアが写真を撮っている間、間下に近付いたジャガー横田が金一封を謹呈し
「チャンピオンになるのはタイミングもあるけど、なってからが大変だから」
と激励。物販会場でファンが残って待っていることを告げに来た日高郁人も、
「完璧だった」
とフィニッシュのタイガースープレックスホールド絶賛、腰にベルトを巻いてやった。

 会見後、
「凄い選手達が上がってるリングで追われる立場になってしまったと思うと、大変なことになった気持ちもありますが…自分なりの、新しいストロングスタイルを築き上げます」
と語った間下は、待っていたファン1人1人に折れた指に構わずサインを行った。
等身大のニューレジェンド、間下隼人ならではの新時代のチャンピオンロードは既に始まっていた。

◎佐山サトルの心を動かした間下隼人とスーパー・タイガーの17年

 この前日の2月21日、武藤敬司が隣の東京ドームで39年の現役生活に幕を下ろしたと聞いた。

 1984年にデビューした武藤敬司が高田延彦戦で東京ドームを湧かせたのは12年目、若干33歳の時だった。そこからさらに下って17年目と言えば、既にムーンサルトの変わりにシャイニングウィザードを会得し、スキンヘッドになっていた。一方で1960年デビューの猪木の1977年は、ハンセン、モンスターマンと闘い、2年後にアリ戦を控えた正に全盛期を迎えていた頃だ。
 しかし時代も違う武藤と猪木の17年をそのまま比べられない様に、スーパー・タイガーと間下隼人の17年間もまた、他のレスラー達のそれとは似て非なる重みを持つ。
 初代タイガーマスク/であり、初代スーパー・タイガーでもある佐山サトルに師事した、2代目スーパー・タイガーと、間下隼人の17年がどういった性質のものか。

 新日本プロレスで果たせなかった佐山サトルの夢と理想。時間と共に色合いを変えながらも確固たる信念の元に追い求めた佐山の夢と理想は、第一次UWFでもUFOでも具現化することはなかった。ストロングスタイルを標榜するプロレスにおいて佐山が思い描いたのは
「武道家として、プロレスのリングで闘いを表現する」
というもの。
 一言で表すと簡単なことの様に思えるが、僅かでもプロレスを知る人間であれば、その実現の困難さに気付く。
 格闘技のバックボーンのない間下は当然ながら、格闘家としてはMMAの試合で実績を残しているスーパー・タイガーも、その夢と理想と現実とのギャップに苦しんだ。
 正解が提示されていても解けない方程式に10年以上、スーパー・タイガーと間下隼人はひたむきに取り組んだ。
 気の遠くなるような年月。
そう1行で記すのが申し訳ない、時間の流れだったと思う。

 佐山サトルがストイックに追い求める夢と理想に悩み、付いていけなくなって、袂を分かったプロレスラーは数え切れない。
 佐山がプロレスデビューのキッカケを作った前田日明。新日本プロレス、タイガージム、UWFと付き従った山崎一夫。超一流の柔道家、小川直也…肉体のキツさなら耐えられた選手達が、頑なまでのストイックさに耐えられず新天地を求め、移り住んでいった。
 前田、山崎、小川といった猛者でさえ出来なかったことに、スーパー・タイガーと間下隼人は黙々と挑み続けた。
「人間、全てを見通せるわけはない。自分の手からダイヤの粒がこぼれ落ちることもあろう。それを見て、人はとやかく言うが、ダイヤモンドが絶対だとは思われない」(井上義啓著『不在証明』)


「これが自分にとってのダイヤモンドなんだ」
そう信じてひたすら初代タイガーマスク/佐山サトルの夢と理想の具現化に総てを賭けた日々。はっきり風向きが変わったのは、15年目を迎えた頃だった。
 選手では無いが、同じく佐山サトルを信奉して裏方に回り、諸事をこなして支えた平井代表の存在もあったし、初代タイガーマスク後援会がバックアップして環境が整った面も大きい。
 しかし容易に妥協をしない佐山サトルが、スーパー・タイガーと間下隼人の愚直なまでのひたむきさを認めたからこそ、コロナ禍の間に2人の大きな飛躍があったことは論を待たない。

「一流レスラーを呼べなかったから異種格闘技戦に走らざるを得なかった。のではない。異種格闘技戦をこなし切る地力が猪木に備わっていたからこそ可能となった話なのである」
「人間の運命は決まっている。私にしても決められている筈なのだ。だが、猪木の中に、アリと闘うという運命が組み込まれていたとはどうしても思えないのである」(井上義啓著『不在証明』)

 モー娘。の親衛隊として全国を巡っていた、一介のプロレスファンだった16年半前の間下隼人にも同じく、この日真霜に勝つ運命が組み込まれていた様には思えない。様々な不確定要素を押忍の精神で振り切って運命を切り拓いたのではないか。そう思う。

 プロレスラーらしい肉体にビルドアップしたスーパー・タイガーと間下隼人が並び立つ、ストロングスタイルプロレスの黄金時代幕開けを感じさせたのが、2・22後楽園ホールだった。

■ 初代タイガーマスク ストロングスタイルプロレスVol.21
日時:2月22日(水)開始18:30
会場:東京水道橋・後楽園ホール
観衆:1026人(満員札止め=主催者発表)

 この日の大会は初代タイガーマスク/佐山サトルが体調不良で来場が敵わず、平井代表のお詫びから始まった。
 

 また、新間寿氏から故・梶原一騎氏の御子息・高森城氏に花束が贈呈された。

<メインイベント レジェンド選手権試合60分1本勝負>
[第16代王者]
●真霜拳號(2AW)
 14分59秒 タイガースープレックスホールド
○間下隼人(SSPW)
[挑戦者]

王者・真霜拳號防衛に失敗、間下隼人が第17代王者となる

<セミファイナル3WAYマッチ60分1本勝負>
○タイガー・クイーン(SSPW)
 9分33秒 タイガースープレックスホールド
●本間多恵(フリー)
※もう1人はウナギ・サヤカ(スターダム)

 会見での専用モニターに続き、初参戦即セミファイナル登場と最恵国待遇を受けたウナギ・サヤカ。スターダムの代表という雰囲気はなく、今後も単独でD三つ巴の女子戦線に関わりそうだ。

<第4試合タッグマッチ60分1本勝負>
スーパー・タイガー(SSPW) ○竹田誠志(フリー)
 13分06秒 ジャーマンスープレックスホールド
●船木誠勝(フリー) 関根シュレック秀樹(ボンサイ柔術)

 女子の3WAYにセミファイナルを譲るマッチメークとなったが、会見での宣言通り堂々とした闘いを見せつけたスーパー・タイガー。コロナ禍前には客席から厳しい言葉を受けることもあったが、この3年で完全にファンと会場を味方に付けた。解禁となった声援を受け、厳しくものびのびとしたファイトで魅せた。

<第3試合タッグマッチ30分1本勝負>
●ジャガー横田(CRISYS・ワールド女子プロレス・ディアナ) KAZUKI(CRISYS・SPURE-J女子プロレス)
 10分30秒 反則(レフェリーへの暴行)
ダーク・タイガー(DarkerZ) ○ダーク・チーター(DarkerZ)

暴走ファイトではCRISYSに対して後手に回った感の強いDarkerZ。巻き返して存在感を見せたいところだ。

<第2試合 タッグマッチ 30分1本勝負>
○日高郁人(ショーンキャプチャー) 阿部史典(フリー)
 10分30秒 ジャパーニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックスホールド
鈴木鼓太郎(フリー) ●SUGI(Milgracias)

「リズムを取って踊って魅せる様な技は闘いではない」が信条の新間寿氏の前で空中戦を展開した初参戦のSUGI。会場は沸いたが、果たして御意見番のお眼鏡に叶ったか否か、今後の参戦に注目したい。

<第1試合シングルマッチ30分1本勝負>
○藪下めぐみ(CRISYS・フリー)
 10分16秒 バックドロップほーるど
●ダーク・パンサー(DarkerZ)

 チェーンの奇襲を見せたダーク・パンサーだったが、硬軟自在なベテラン・藪下めぐみに勢いを止められた。


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’23年03月09日号間下隼人SSP王者 栃木プロレス 永田裕志 NXT里村明衣子AEW里歩 蛇の穴