『列伝』に描かれた、アントニオ猪木のプロレス人生

 何度も書いていることだが、筆者が大好きだった漫画が『プロレススーパースター列伝』だ。原作は梶原一騎で、作画はリアリティのある絵を描く原田久仁信。プロレス・ノンフィクションが売りで、当時は中学生だった筆者は『列伝』を読んで「このプロレスラーの過去はこうだったのか!」と興奮したものである。
 実際にはよく知られているように、多くが梶原一騎の創作。しかし、それを感じさせない力業のストーリー展開で、まさしく梶原一騎ここにあり! と感じさせる名作だった。

 筆者が初めて『列伝』を読んだのは、週刊少年サンデーに連載中の『なつかしのB・I砲!G馬場とA猪木』編。当時の筆者はてっきり馬場と猪木について描かれた漫画だと思っていたが、実際には数々のプロレスラーのエピソードを集めた漫画と知ったのは後のことだ。
 馬場&猪木編は7番目で、初の日本人レスラーが主人公のシリーズ。それまでは外国人レスラーばかりだった。なお、2人セットだったのも馬場&猪木編のみである。


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アントニオ猪木の視点で描かれた『列伝』

『プロレススーパースター列伝』のクレジットには、梶原一騎と原田久仁信の他に『協力:アントニオ猪木』と書かれていた。そう、レスラーのエピソードを『アントニオ猪木(談)』という形で解説しているのだ。この『アントニオ猪木(談)』のおかげで一層リアリティが増していた。
 しかし、この『アントニオ猪木(談)』も、ほとんどが梶原一騎の創作。たとえばアンドレ・ザ・ジャイアントは木こり出身と『列伝』では紹介され、『アントニオ猪木(談)』では「木こりは全身を使うので体が鍛えられ、木こり出身の名レスラーが多い」と解説しているが、そもそもアンドレは木こり出身ではない。じゃあ、あの猪木の解説はなんだったの? と思ってしまうが、梶原一騎の創作だったら合点がいく。

 とはいえ、猪木寄りに描かれた漫画だったのも事実で、これは猪木派だったユセフ・トルコの存在が大きかったのだろう。トルコは梶原一騎と中心になって大日本プロレス(現在の大日本プロレスとは無関係)を設立しようとしたり、アブドーラ・ザ・ブッチャー著『プロレスを10倍楽しく見る方法』の翻訳者であるゴジン・カーンを恐喝したために梶原一騎と共に逮捕されたりもした。
 トルコは日本プロレス末期の幹部が嫌いで『ダラ幹(だらけた幹部)』と呼んでおり、『列伝』の馬場&猪木編でもこの言葉がキーワードとなったのだ。

 馬場&猪木編も、当然のことながら猪木の視点から描かれている。と言っても馬場が悪人とされているわけではなく、悪人は馬場の取り巻きだ。日プロ末期の幹部(つまりダラ幹)はほとんどが馬場派で、猪木は冷遇されていたことになっている。
 実際には、日プロ末期の幹部にも猪木派はいたのだが、猪木が日プロ内で孤立しているように描くことで、読者が猪木ビイキになるようにしたのだろう。

 馬場&猪木編は、それぞれの青春時代から始まる。馬場はご存じの通り読売ジャイアンツの投手で、一軍では活躍できなかったために巨人をクビになり、大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)のキャンプに参加するも風呂場で転倒して大怪我、プロ野球は引退する。
 猪木は少年時代、一家でブラジルに移住して、奴隷のようにコキ使われるも陸上競技で頭角を現し、力道山の目に留まって強引にスカウトされ、日本に戻りプロレスラーへの道を歩んだ。このあたりの2人の描写は珍しく(?)、基本的には事実である。

 力道山は、元プロ野球選手で年上の馬場を優遇、一方の猪木は自らの付き人としてイジメの如く徹底的に鍛え上げた。馬場はスター候補生としてアメリカ遠征に出され、日本で力道山にイジメられている猪木は馬場に対してライバル心を抱くようになる。
 力道山の後継者として順調に成長する馬場と、前座時代の猪木は16度対戦するが、結果は馬場の16連勝。このエピソードも事実だ。

 しかし、力道山が急死。これにより、2人の運命が大きく変わる。アメリカ遠征中だった馬場は急遽帰国し、入れ替わるように猪木がアメリカ遠征に出された。
 この時、アメリカにやって来た猪木を馬場が出迎え、使い残したドルを猪木に渡すシーンが描かれている。これも実話で、馬場はそのことを覚えていなかったらしいが、猪木は「あの時は嬉しかった」と述懐した。この頃の馬場と猪木は非常に良い関係だったのだ。

 力道山亡き後のエースは豊登だったが、日本に戻った馬場の人気が爆発し、エースの座を奪い取る。後輩の馬場の下になるのを嫌った豊登は、猪木を誘って新団体を興すことを決意した。
 この流れは事実だが、豊登がギャンブル狂で社長の座を追われたことには触れられておらず、このあたりから『列伝』が怪しくなる。

▼日本プロレスを去った豊登は、アントニオ猪木を引き抜いて新団体設立を決意

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板橋焼き打ち事件は観客の少なさが原因!?

 豊登は猪木に「このまま日プロに戻っても馬場のエースの座は不動。それなら、新団体のエースとして馬場と勝負しないか」と説得し、猪木も了承。2人が中心となり新団体の東京プロレスを設立した。
 東プロは旗揚げ戦こそ東京・蔵前国技館に満員の観衆を集める盛況だったものの、テレビ中継が付かず、日プロお抱えプロモーターの壁が厚くて、間もなく苦境に陥る。

 そして運命の東京・板橋大会。観客が2百人も入っていない状況に豊登は頭を抱え、これなら試合をやるだけ損と中止を決定する。外国人レスラーにギャラを払わなくて済むからだ。しかし、突然の中止決定にファンは怒り、放火を始めた。猪木は「ファンのために試合をやりましょう」と豊登に進言するが、既に外国人レスラーは中止のつもりで宿舎に帰ってしまったのである。
 と『列伝』では描かれているが、実際は試合中止を決めたのは豊登ではなく猪木だ。

 当時の資料を見ると、板橋大会の観衆は約2千人となっている。もちろん水増し発表の可能性が高いが、それでも『列伝』に描かれている2百人の10倍だ。2千人から差し引いても、後楽園ホールなら満員だろう。つまり、観客が少な過ぎるから中止というのは有り得ない。
 板橋大会を主催したのはオリエント・プロモーション。しかし、それまでのオリプロによる東プロの興行は何度かキャンセルされており、選手へのギャラの支払いも滞っていた。

 オリプロは板橋大会の試合前に、これまでのギャラも支払うと約束したが、それが実行されなかったために、23歳という若さながら社長となっていた猪木が選手を足止めしたのだ。いわばストライキである。
 この時、オリプロはもちろん、豊登や新間寿も猪木に試合をするよう進言したが、猪木は断固拒否した。そして実際に中止が決定する。
 事情が判らないファンは、1時間以上も待たされたうえに突然の試合中止と聞いて激怒。放火を始めたわけだ。
 つまり、ファン無視だったのは猪木の方だったのだが『列伝』でそんなことを描くわけがない。

日本プロレスのクーデターを企てたのはジャイアント馬場だった!?

 板橋焼き打ち事件が致命傷となり、東京プロレスが崩壊して、日本プロレスに復帰する猪木。しかし、出戻りの猪木に対して日プロの幹部連中は冷たかった。
 ワールド・リーグ戦で、猪木が馬場を抑えて優勝しそうになると、日プロの幹部は何と対戦相手のクリス・マルコフに特別ボーナスを用意する。猪木を何としても潰してくれ、と。
 もちろん、馬場の与り知らない話とはいえ、このあたりから『列伝』の猪木ビイキが加速する。
 結局、猪木が本邦初公開の卍固めでマルコフを破り、ワールド・リーグ戦初優勝を飾った。

 しかし、翌々年のワールド・リーグ戦は4者が同点で並び、猪木がザ・デストロイヤーと引き分け、馬場がアブドーラ・ザ・ブッチャーを破って優勝すると、猪木の怒りが爆発する。
 4者同点なら4人による総当たりにするのが筋と主張し、さらには馬場への挑戦を表明した。
 記者連中は、本気で馬場と日本人同士で闘うつもりなのか? とビックリ仰天。
 今のファンなら、なぜ日本人同士で闘うだけで驚くのか不思議だろうが、当時は若手レスラーを除いて日本人同士の対戦はタブーだったのだ。
 猪木の申し出は、次期が早過ぎるという理由で却下。猪木の日プロ幹部に対する不信感は頂点に達した。

 そんな時、猪木は馬場から相談を持ち掛けられる。幹部は会社の金で豪遊するなど堕落が酷すぎるので、選手の手で日プロを健全に経営しようという申し出だ。もちろん猪木は大賛成する。
 ここまで読んで、読者は「アレ?」と思うだろう。そう、『列伝』では日プロのクーデターを画策したのは猪木ではなく馬場だったことになっているのだ。
 しかし、選手の中に裏切り者が出て(『列伝』では「一説では上田馬之助」と書かれている)、計画は頓挫。ダラ幹は馬場に、裏切ったのは猪木だとウソの情報を流し、兄弟のように仲が良かった馬場と猪木に亀裂が走る。
 結局、猪木がクーデターの首謀者とされて日プロを永久追放、新日本プロレスを興した。

 カール・ゴッチの協力により、新日はテレビ中継なしでも何とか興行を続けたものの、猪木は毎週テレビ中継される日プロの馬場が羨ましくて仕方がない。
 猪木の代わりに馬場とタッグを組んだ坂口征二に関しても「坂口征二というのも柔道日本一だけあって素晴らしい大器だ。我が新日もスカウトしたかったが、テレビ中継のある日プロに取られてしまった」とため息をつく。

 再び読者の「アレ?」(阪神タイガースの岡田彰布監督ではありません)。「坂口征二というのも」ってアンタ、日プロ時代にタッグを組んでたやん! と誰もがツッコむだろう。
『列伝』では、坂口は新日旗揚げの頃、まだ新人という設定だったのだ。実際には、坂口が日プロに入団したのは1967年2月。実はこの時、猪木は日プロにいなかった。
 つまり、東プロは崩壊したものの、まだ猪木は日プロには復帰していなかったのである。猪木が日プロに出戻ったのは同年4月。このとき既に、坂口は日プロの一員だった。もっとも、坂口は入団してすぐに海外修業を行ったので、猪木とは顔を合わせていなかったのかも知れないが。

 話を元に戻すと、馬場は猪木が思うほど幸福ではなく、猪木と同じようにダラ幹には不満を持っていたので、独立を決意して全日本プロレスを立ち上げる。『列伝』では、日本テレビとNETテレビとのゴタゴタは一切描かれていない。
 坂口は猪木と会い、新日に移籍を決意する。猪木、馬場、坂口を失った日プロは崩壊。猪木は坂口とタッグを組み、ルー・テーズ&カール・ゴッチと対戦、新日のテレビ中継が始まった。

カブキ編でさらに、日本プロレスのクーデターについて言及

 新日本プロレスと全日本プロレスに分かれてからは、ほとんどが猪木の描写となる。いや、今までも猪木の描写が多かったが、その後は一層顕著になった。
 おそらく、梶原一騎(あるいはユセフ・トルコ)が最も描きたかったのは、日本プロレス末期のことだろう。実は、後の『東洋の神秘!カブキ』編の方が日プロ末期について詳しく描かれていた。

 馬場&猪木編には日プロ最後の社長である芳の里は登場しなかったが、カブキ編では重要な人物として描かれている。と言っても、ダラ幹の代表的ヒールという役どころだが。
 ザ・グレート・カブキ(当時は高千穂明久)は、トレーニングの鬼である猪木に心酔し、一緒に練習する毎日。そんなある日、カブキは芳の里に誘われ呑みに連れ出される。
 カブキは酒が好きとはいえ、猪木ともっと練習したかったが、社長命令には逆らえず芳の里にイヤイヤ付き合う。銀座の高級クラブをハシゴし、芳の里はホステスを侍らせてチップをバラまいた。一晩で100万円も呑み(馬場&猪木編では20万円だった)、毎晩のように銀座で豪遊する芳の里。酒を呑む芳の里の表情は悪辣で、カブキはそんな芳の里を軽蔑していた。

 と『列伝』では描かれているが、実際のカブキはバリバリの芳の里派。何しろカブキは芳の里のことを『オヤジ』と呼ぶほど慕っていたのだ。
 ちなみにカブキは、馬場、猪木、大木金太郎のうち、最も好きだったのは馬場だったという。後にカブキは馬場に対する不満が増幅するが、その馬場の方が猪木よりも気に入っていた。
 カブキは別に猪木のことが嫌いだったわけではなく、単に接点が少なかっただけと思われるが、いずれにしても『列伝』に描かれているような蜜月関係ではなかったようだ。

 そしてカブキ編では、猪木による日プロ改革シーンもあり、ここでは馬場&猪木編と違い、猪木の方が馬場にクーデターを持ち掛けている。さらに、裏切ったのは上田馬之助とカブキ編では断定していた。

 カブキ編は『列伝』最後のシリーズとなる。連載の最中に、梶原一騎が逮捕されたのだ。
 この頃の筆者は高校生だったが、授業中に国語の先生が突然『列伝』の話を始め、梶原一騎の逮捕でカブキ編が中途半端な形で終わった、と語った。その先生はとてもプロレス・ファンには見えなかったが『列伝』の愛読者だったのである。

▼香港でジャイアント馬場モドキと闘うザ・グレート・カブキ(もちろん梶原一騎の創作)
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 この逮捕により、梶原一騎のアントニオ猪木監禁事件が発覚。つまり『列伝』の連載中、梶原一騎は猪木に危害を加えようとしていたのだ。
 猪木は梶原一騎について「メシも一緒に食ったことがない」と語っていた。それなら、『列伝』での猪木の持ち上げようは、いささか奇妙に思える。

『列伝』の連載中は、まさしく猪木ブームの真っ只中。それが『列伝』のストーリー展開にも影響を与えたのだろうか?
 あるいは『列伝』が猪木ブームを作ったのかも知れない。


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