[週刊ファイト10月20日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼[Fightドキュメンタリー劇場 43Lastシン戦+猪木追悼]
年代別猪木表紙ラストメッセージ 「猪木死すとも プロレスは死せず!」
真っ白な猪木の顔が忘れられない~壮絶「猪木vs.シン」 ラストマッチ
by Favorite Cafe 管理人
早くもベストセラー!
▼’22年10月13日号A猪木追悼特集増刊号合冊 スターダム5★ AEW暴力沙汰 地下インパクト
(1967年~1970年)創刊第2号の表紙に猪木登場/日本プロレスに復帰
(1972年~1975年)新日本プロレス設立/大物日本人対決
(1976年~1979年)モハメド・アリ戦/NWF防衛ロード
(1980年~1984年)IWGP/選手大量離脱
(1985年~1988年)世代闘争/飛龍革命
週刊ファイトは、1967年に創刊され、2006年、通算2000号を目前に休刊となった。40年の歴史の中で最も多く表紙を飾ったプロレスラーはアントニオ猪木だろう。手元にある資料だけでも、240回の表紙登場が確認できる。「アントニオ猪木無くして、週刊ファイト無し」である。
(1989年~1994年)東京ドーム進出/参議院議員選挙当選
(1995年~1999年)猪木引退/UFO世界格闘技連盟
この表紙集では、1年毎に1冊の表紙をピックアップしてみた。発行された全ての週刊ファイトが手元にあるわけではないので、掲載できていない年が3年分(1971年、1991年、1992年)ほどあることをご勘弁いただきたい。
(2000年~2003年)INOKI-BOM-BA-YE/PRIDEエグゼプティブ・プロデューサー
(2004年~2006年)猪木、新日プロ株式売却/週刊ファイト休刊
[Fightドキュメンタリー劇場 43] 井上義啓の喫茶店トーク
真っ白な猪木の顔が忘れられない~壮絶「猪木vs.シン」 ラストマッチ
猪木を徹底的に痛めつけること、それがタイガー・ジェット・シンの役割だった。そして、1981年6月4日、猪木とシンは複雑な思いでラストマッチを闘うことになった。