[週刊ファイト2月10日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼必殺の人間爆弾G馬場がジョナサンを圧殺した頃
by 猫山文楽拳
・1973年1月24日G馬場vs.ドン・レオ・ジョナサン
・G馬場没後24年本誌縮刷版引用編・猪木馬場なら4、5万はいる
・テリー・ファンク「全日本プロレスは伝統を乗せた最後の列車」
・プロレスの神はいまも京平と共にあり
・50周年蘇る王道プロレス
新しい年が始まり大寒を過ぎて少し日が長くなる頃、決まって思い出すのは1999年1月31日王道あっけなく天国へと旅立って行った王道16文ジャイアント馬場がお茶の間で国民的な人気を博していたあの頃の、王道全日本プロレス華やかなりし昭和プロレス黄金期の忘れ得ぬ試合珠玉の記憶の数々だ。
記者も気づけば今年還暦を迎えるのだが思い出は不思議と色あせるどころか4Kリマスター版の如く色あせることなく記憶鮮明だ。
1973年1月24日G馬場vs.ドン・レオ・ジョナサン
1973年(昭和48年)の1月と3月そして4月、東京・日大講堂で開催された全日本プロレス大会を父と見に行った。
当時父は家を出て青山のマンションで愛人と暮らしており、私は思春期の入り口に立つ多感な年ごろを迎えていたにも関わらず嫌がる娘を無理やりプロレス観戦に誘うこの父を私は嫌っていたし、プロレスも当時は好きではなかった。
70年代のプロレス会場は、子ども心に夜店の見世物小屋と同じような怪しげな匂いがした。
ことに全日本プロレスが招く外国人選手のキャラの立ち方は群を抜いており、リアル漫画の国だった。