Bサンマルチノに続きラリー・ズビスコがWWE殿堂入り!WCW月曜生TV戦争の実況担当でも名声

Photo by Mike Lano
 現地時間月曜夜放送のRAWにて、ラリー・ズビスコのWWE殿堂入りが発表された。ズビスコは”鋼鉄の街”として知られるピッツバーク州ペンシルバニア出身。同郷のブルーノ・サンマルチノに見いだされ1973年にWWWF(WWE)デビュー。ブルーノの愛弟子として売り出された。
 1980年、そのブルーノを裏切りヒール転向、以降、この恩師との恩讐劇をテリトリー各地で遺恨試合プログラムとして連日連戦のメイン。そのクライマックスが同年8月9日のシェイ・スタジアムで行われた金網決着戦(スチール・ケージ・マッチ)だ。この大会には日本からアントニオ猪木、藤波辰爾も参戦している。
 リング上で抗争しているからといって、恩師ブルーノとの関係は不滅とも思われたが、実生活でも反目してしまい、1981年には独自の判断でWWFを離脱している。以降、現WWEとは絶縁状態にあり、マイクパフォーマンスに長けたリヴィング・レジェンドのキャラを確立していくが、そのマイク内容は上がる団体がどこであろうがビンス・マクマホン批判だった。

 日本にはブルーノの斡旋で全日本プロレスにも、新日本プロレスにも来日しているが、おしゃべり話術が生かせないこともあるのか大きなインパクトは残していない。恐らくはAWA時代に、マサ斎藤に東京ドーム大会(1990年2月10日)でAWA世界ヘビー級王座を明け渡すが、2ヶ月後にセントポールで奪回に成功。結局は「AWA最後の世界王者」として記憶されることになったのが記憶される最大の経歴だろう。
 そのAWA末期からの腐れ縁から、エリック・ビショフ率いるWCWが「月曜生TV戦争」で現WWEと激しく抗争していた時期の実況席で大活躍。そのビショフとはリング上でも対決を演じていた。

 反WWEを貫いていたこともあり、昔からアメプロを見てきた者にはHoF(Hall of Fame)というのはありえない選択にも思えるが、なにしろブルーノが恩讐を乗り越えてHoFなのだから、ズビスコもアリになったというこちらしい。これで本物のリヴィング・レジェンドと、キャラと実人生が交錯した。もっとも、噂された究極の職人レイ・スティーブンスの殿堂入りは今回はパスされたことになろう。

※ズビスコの裏ネタ特別公開の電子書籍版は、マット界舞台裏3月26日号ノア奥底NJC広島決勝藤波WWE殿堂パンクラスKASSEN2安生洋二長瀬に掲載されました。

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※本日放送のRAWでもさわりの攻防がプレビューされたIC王座戦~最高試合賞の期待詳細を解説
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