52年前の新春チャンピオン・シリーズの貴重なポスター(札幌2連戦)
[週刊ファイト8月26日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼秘蔵写真で綴る浪速のアントニオ猪木#18(1969年1・11ダニー・ホッジ戦)
by 藤井敏之
力道山道場の三羽烏と呼ばれたジャイアント馬場、アントニオ猪木、大木金太郎は、それぞれの思いで1969年の新春を迎えた。
日本プロレスのエースとして君臨する馬場は現状維持を強く意識、自分が居なくては日本プロレスの今の繁栄は無いと強く自信を持ち、猪木は今年こそは何としてもシングルの王座を取得するか、それに匹敵すべき価値がある『第11回ワールド大リーグ戦』優勝を目指す。会社や周りからも前シリーズにおいてNWA認定世界ヘビー級チャンピオンであるジン・キニスキーと対等に戦えるまでなった実力を認められ、大いなる期待が懸けられていた。
大木はアジアのシングル並びにタッグ王者の防衛を誓いながらも、年末シリーズにおいてブルート・ジム・バーナードの角材攻撃で左耳を負傷してしまった傷跡の治りが遅く、なんとも痛々しいヘッドギアーを装着しながらのスタートとなる。
新春シリーズのパンフレット 大阪大会のチケット半券
ヘッドギアーで戦う大木
年頭の新春チャンピオン・シリーズには全米から凄い奴らがやって来た。元AWA世界ヘビー級選手権者のウイルバー・スナイダーとNWA世界ジュニア・ヘビー級王者のダニー・ホッジの超・実力者コンビがBI砲のインターナショナル・タッグ選手権を狙いに来日。その前夜祭(1968年12月27日)において猪木は外人エースであるスナイダーと15分1本勝負で対戦。お互いグランド・レスリングを主体とし、得意とする技の攻防から時間切れ引き分けとなり、益々猪木は自身の手ごたえを確信としていた。
この頃の“若獅子”と呼ばれていた猪木はベテラン相手にまだ胸を貸してもらっている感があった貴重な時代でもある。全米で活躍するトップスター達はいずれも猪木世代より10歳は年齢を重ねており、フリッツ・フォン・エリック、ボボ・ブラジル、ブルーノ・サンマルチノ、ジン・キニスキー、クラッシャー・リソワスキー、ディック・ザ・ブルーザ他もみんな40歳前後という年齢である。
猪木の同世代レスラーが活躍する契機となったのは、この年の2月12日にアメリカはタンパにおいてドリー・ファンク・ジュニアがジン・キニスキーを破り、第46代NWA認定世界ヘビー級チャンピオンとなったこと。一気に世代交代の波がプロレス界にも起こるのであった。
さて大阪大会前の広島大会(1月9日)において無敵のBI砲が超・実力者コンビのスナイダー&ホッジ組に敗れ、前年2月3日にクラッシャー・リソワスキー&“ドクター”ビル・ミラー組を破ってから連続11回という防衛記録を達成してきた偉業がもろくも崩れるという大ハプニングが起こっていた。
1969年最初のタイトルマッチのポスター
BI砲を広島で破ったスナイダー&ホッジ
翌日の駅スタンドの新聞紙面にBI砲、王座喪失という赤い文字が並んでいた記憶が蘇る。
そして大阪(1月11日)ではジャイアント馬場のインターナショナル選手権にウイルバー・スナイダーが挑戦する試合がメインで行われるということで、多くの観客は不安と期待が入り混じる中、大阪府立体育会館に足を運び館内は9000人という満員のファンで埋めつくされた。馬場、猪木のBI砲は昨夜の傷心のまま大阪入り、インターナショナル・タッグ選手権のリターンマッチも保留されたままの状態である。
大阪大会の試合組み合わせ
馬場対スナイダーのインターシングル戦
この日の猪木の対戦相手は、新・インタータッグ王者の一方の雄ダニー・ホッジである。ヘルシンキ、メルボルンのレスリング銀メダリストであり、ボクシングでもゴールデングローブを制したこともあるダニー・ホッジの殺人パンチは強烈で、何度も猪木に対し左右のフック、ジャブ、ストレートと打ち込み猪木は防戦一方。猪木も得意のパンチと空手チョップで反撃、得意技であるコブラ・ツイストに持ち込もうとするが逃げられた。
テクニシャンである二人の技の攻防も見どころの一つでもある。戦いはリング下にもつれ込み、壮絶な戦いを繰り広げながら両者カウントアウトの引き分け(14分25秒)に終わった。
力比べも互角である ホッジのパンチの威力は凄い
鋭いニーリフトで猪木の顔が歪む ヘッド・ロックの威力も並ではない
この日の観客は黄金カードが観れて幸せだ 猪木の逆襲ドロップ・キックが炸裂