WWWF(WWF、現WWE)などで活躍したパワーファイターのイタリア人プロレスラー、ドン・デヌーチさんが現地時間8月12日に死去したと米メディアが伝えた。89歳だった。
トップ画像は2012年4月14日、カナダはトロントで行われた本誌取材のレッスル・リユニオン大会で、この遠征が最後と広言して実際そうなったブルーノ・サンマルチノさんをセコンドにして、なんと77歳で試合をして米国の長寿記録を更新した際の貴重写真である。
1980年8月9日、シェアスタジアムで行われアントニオ猪木や藤波辰巳も参戦した『SHOWDOWN AT SHEA』より右端の白シャツがドン・デヌーチ、チャボ・ゲレロが歩いてきている。
同日一塁側ベンチのパット・パターソンと、ボーイフレンドのルイー・ダンデロ、のちの女子王者スーザン・セクストン、大巨人アンドレとデヌーチ(後ろ姿)
ドン・デヌーチさんは、1955年プロレスデビュー。
1960年初頭はドミニク・ブラボーと名乗ってタッグチームとして活動、その後リングネームを本名に戻して、パワーファイトを売りにベビーフェースのシングルプレイヤーとしてオーストラリアで大活躍。
1964年11月7日に、キラー・コワルスキーから豪州版のIWA世界ヘビー級王座を奪う。1967年からWWWFを主戦場として活躍した。
日本には1968年4月に初来日、日本プロレス『第10回ワールドリーグ戦』に「イタリア代表」として出場。
1971年11月再来日を果たした際には、大木金太郎のアジアヘビー級王座に挑戦している。
1972年10月3度目の来日では、全日本プロレスの旗揚げシリーズに盟友ブルーノ・サンマルチノと共に参戦し、その後全日本プロレスには何度か参戦をしたが、目立った戦歴を残すには至らなかった。
現役を引退後はミック・フォーリー、シェーン・ダグラスらの指導にあたっていたことで名高い。金曜発売の週刊ファイトでは追悼特集を予定。さまざまな観点から異常なまでに貴重だった2012年4月14日『レッスル・リユニオン』の完全版ファイルを採録する。
(ドン・デヌーチ 後列左端白シャツ姿の男)
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