[ファイトクラブ]秘蔵写真で綴る浪速のアントニオ猪木#14 1969年9・28覆面3選手アトミック他

[週刊ファイト7月22日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼秘蔵写真で綴る浪速のアントニオ猪木#14 1969年9・28覆面3選手アトミック他
 by 藤井敏之
・覆面の魔王ザ・デストロイヤー再来襲の秋のダイヤモンド・シリーズ
・3人もの覆面選手:赤覆面ミスター・アトミック、ベン・ジャスティス
・ジャイアント馬場&アントニオ猪木vs.デスト&ブラック・ゴールドマン
・大流血の吉村を援護する猪木、大逆襲でオースチンに噛みつく
・孤軍奮闘の猪木、ガッチリ決まったコブラ・ツイスト貴重写真満載
・2度目のアジア・タッグ王座防衛に成功した日本組の控室の様子
・セミファイナルの馬場対デストロイヤーのインター選手権前哨戦
・馬場の前で原爆固めを出す猪木~そしてドリー・ファンクjr来襲へ


※7月11日は故・デストロイヤーさんのお誕生日(90歳)である。Happy Birthday Dick Beyer

 1969年3月“覆面の魔王”ことザ・デストロイヤーが大暴れしてから、半年という早いサイクルにて秋のダイヤモンド・シリーズに急襲するというのは当時の彼の人気ぶりが伺える。
 今回はシリーズにおいて3人もの覆面レスラーが集結するという、子供たちにとっても夢のある大会となった回を取り上げる。デストロイヤーを筆頭に、切り札であるネック・ブリーカー・ドロップ、ボクサー時代に無敵を誇った殺人パンチや反則の凶器入り頭突きを得意とするベテランの赤覆面ミスター・アトミック、さらには白覆面、白のタイツ、白のリングシューズに統一しアマレス仕込みの寝技を得意とするベン・ジャスティスという夢のトリオの来襲であった。

 いわゆる他ジャンルにはない神秘性と娯楽性をもつ覆面レスラーは子供たちの憧れでもある。このシリーズの成功の味を知った、日本プロレス協会は後々、1971年のサマーミステリーシリーズには、超人気の千の顔を持つ男ことミル・マスカラス、情無用の略奪者ザ・スポイラー、覆面タッグのイファーノスと4人を揃えたり、際立ったところでは1973年の日本プロレス低迷期に、何とか子供たちの興味を引くようにとの思惑から、シリーズ参加選手全員が覆面レスラー(レッド・デビル、ザ・スポイラー、マイティ・ヤンキース1号・2号、ビリー・レッド・ライオン、MR. X)と、なんと総勢6人が集結した謎の覆面シリーズもあった。

デストロイヤー&オースチン   控室でのミスター・アトミック   ペン・ジャスティスの雄姿

 ダイヤモンド・シリーズ前半の天王山である大阪2連戦(9月27日、28日)では、アジア・タッグ選手権試合とインター・タッグ選手権試合を行うと発表される。猪木ファンとしては、まだシングルベルトを持たない猪木の雄姿をメインで見るには最高の舞台であると歓迎していた。
 尚、今回は2連戦の初戦、アジア・タッグ選手権試合の写真しか残っていないのでご了承願いたい。

 初日の27日はアジア・タッグ選手権試合“王者チーム アントニオ猪木&吉村道明 対 ミスター・アトミック&バデイ・オースチン”、セミファイナルは熊本でのインターナショナル選手権試合の前哨戦として、ジャイアント馬場 対 ザ・デストロイヤーのシングル戦が組まれた。
 翌日28日はインター・タッグ選手権試合“王者チーム ジャイアント馬場&アントニオ猪木 対 ザ・デストロイヤー&ブラック・ゴールドマンである。猪木がどちらもメインなのだ。どちらも見たいのはヤマヤマであり悩むところである。ただどちらもテレビ放送されると聞き(インター・タッグは老舗の日本テレビ、アジア・タッグはNETテレビ)、小学生でお小遣いも少ないので私は会場行きをあきらめ、プロレス会場デビューは年末に持ち越した記憶があります。

 当時海外プロレス知識も乏しく、インター・タッグにおいてデストロイヤーの相棒であるゴールドマンの実力がよくわからない。できれば覆面タッグであるデストロイヤー&アトミック組に期待していたという気持ちもあり、会場への足が遠のいていたのも一因であるが、ゴールドマンはロス・マットでブル・ラモスとタッグを組み、殺人アパッチの異名で活躍していた。
 ラフなわりにはテクニックもあり、切り札のバックワード・ダイブ(空中回転落とし)で馬場もKOするというダークホース的な活躍をしたが、ネームバリューが初来日でファンには浸透していなかった。今になると彼のいぶし銀のファイトが懐かしいばかりである。ちなみにブル・ラモスも次シリーズに参加して大活躍した。なんか近所のおばちゃんぽく、好きなレスラーの一人でもあった。

         デストロイヤー&ゴールドマンのタッグ

 さて、今回のデストロイヤーは開幕戦から新たな必殺技であるアルゼンチン・バックブリーカーやアトミック・ボムズアウエーという大技を繰り出し、得意である4の字固めを温存していたのがまた不気味で新鮮さがあった。毎回、日本のファンに飽きられるのを恐れ、新しい話題を提供したり、今回のように新必殺技を披露したりして新鮮さを保っていた。まさにプロ中のプロであったのだ。

         2連戦初日のカードとパンフレット

         当日の記念チケット、一般席は500円である

 初日である27日のアジア・タッグ選手権試合は、主催者発表で7500人の観衆を集めて行われた。過去に二人のレスラーを地獄に送り込んでいる殺人パイル・ドライバーを必殺技とする狂犬キラー・バデイ・オースチンは、いかにも酒場の用心棒のような面構えで得体のしれない怖さが体全体から漂う。タッグパートナーのミスター・アトミックはウェイトが増したように見えるが、スピードは全盛期に比べても落ちてもいなく、さらに反則に磨きをかけていた。

 この二人がタッグを組むとなると試合が荒れるのは目に見える。序盤戦から二人のコンビネーションの良い反則攻撃が冴えわたる。吉村を自軍のコーナーに押さえつけ、オースチンは吉村のケイ動脈をしつこく締め上げる絵がよみがえる。反則攻撃のオンパレードでついには吉村の額から流血。さらにその流血部分にオースチンが噛みつくなど吉村を血祭りにあげ、アトミックが体固めで先制(21分)。
 2本目は我慢の限界に達した猪木が吉村からようやくタッチを受け、猪木独特の必殺ナックル・パンチをアトミックに浴びせグロッキー気味になったところでコブラ・ツイストでギブアップを取る(5分25秒)。昭和のプロレスファンはこの場面に興奮しながらも外人の凶器攻撃に対し見ないふりをしたり、吉村の猪木へのタッチを認めないレフェリーに会場やテレビの前で文句を言いながらみていたのを思い出す。
 3本目は猪木のフォローを受けた吉村が18番の技である回転エビ固めを大流血の中、根性でアトミックからフォールを奪うという浪速のファンの心をガッチリ掴んだフィナーレとなった(7分55秒)。一時は吉村もオースチンも大出血でドクターストップもかかったが、試合続行するという凄まじい闘いで、テレビの画面からも大興奮している館内の状況が伝わってきた事は今でも忘れられない。

1969年9月27日 大阪府立体育会館 アジア・タッグ選手権試合
 アントニオ猪木&吉村道明 対 ミスター・アトミック & キラー・バデイ・オースチン
1本目アトミック(体固め 21分0秒)吉村
2本目猪木(アバラ折り 5分25秒)アトミック
3本目吉村(片エビ固め7分55秒)アトミック
※2対1で日本組が2度目のタイトル防衛

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