[ファイトクラブ]16年はひと昔~爆裂一代男・橋本真也夢の残り火

[週刊ファイト7月22日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼16年はひと昔~爆裂一代男・橋本真也夢の残り火
 by 猫山文楽拳
・2001年ZERO-ONE旗揚げ戦小川乱闘の顛末
・2003年5月史上初骨壺抱いて電流爆破マッチ
・永遠のシャイニングどっこいしょ


 平家物語をベースに並木宗輔の手によって書かれた文楽の名作「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」で、我が子を犠牲に敦盛を救う務めを果たした直実が、主君にいとまごいを願い出た際の有名な台詞に「十六年は一昔、夢であったよなあ」というのがある。
 7月3日に生まれて7月11日に死去したプロレスラー橋本真也(享年40歳)が死去して16年目の夏が来た。

 橋本が新日本プロレスを解雇されたのが1984年に入門後16年後の2000年11月で、この翌月にはZERO-1を立ち上げている。
 もしも橋本が生きてZERO-1を率いていたならば、いま在るZERO-1とは間違いなく違った団体を作り上げていっただろうし、或いは10年持たずに潰れてなくなってしまったかもしれない。

 記者は旗揚げ戦の2001年3月2日両国国技館大会DVDを所有しているが、このDVD制作会社の名前を聞いて驚け「株式会社東北新社」と「avex」である。
 映像は確かに素晴らしい。カメラを何台も駆使、一台はコーナートップに括りつけて置くというおよそプロレスの撮影らしからぬ手法、ドキュメンタリー映画を彷彿させる丁寧な撮影が行われ、経年を経ても色彩鮮やか。インディ―団体のDVDにありがちな、レンズのホコリが映りこんでいて撮影者の生活の臨場感が映りこんでしまっているホームビデオ感は一切ない。当然だ。映画配給会社が販売元なのだから。音も綺麗だ。そりゃそうだ。「avex」が発売元なのだ。

 だが思うに金が掛かっていないエンターテイメントはしょっぱい。

 橋本は存在自体が「木戸銭を払っても見る価値のある不世出のプロレスラー」だったし、彼が新日本では望んで叶わず自らが舞台をセットし実現させたカードは、ファンも見たかった華のある夢のカードだったことは間違いない。

 私生活でも新地通いで残した武勇談は数知れない。

 橋本真也という男は、夢に生き死ぬ間際まで夢の中で格闘を続けていたのではないかと思えてしまう傑出の人だったように思う。

2001年ZERO-ONE旗揚げ戦小川乱闘の顛末

 2001年3月2日真世紀創造を謳い橋本真也の大きな夢の一歩であるプロレスリングZERO-1が、両国国技館で幕を開けた。
 この前年にプロレスリングノアがディファ有明で旗揚げしている。
 ZERO-1旗揚げ戦のメインカードは橋本と当日までXとされた永田裕志対三沢光晴、秋山準。ちなみに第一試合が丸藤正道と、大阪プロレスを退団しZERO-1に入団した星川尚浩のシングルマッチだった。

 旗揚げ戦は結局ZERO-1勢は一勝も出来ず、メインイベント終了後も乱入してきた小川直也が橋本をスルーして三沢に噛みつき、三沢が小川にラリアットをかましたことから収集の付かない大乱闘に発展。主賓の橋本が完全に蚊帳の外に追いやられるという、笑ったらいけないかもしれないが笑わずにはおれないアクシデントが発生した。(実況席の武藤は失笑していた)

 その上いつのまにかリング上にはいってきていた藤田和之がいつになく興奮気味に存在を鼓舞、なんとかその場を収めようとマイクを取ったのが一番マイクの下手な橋本で、「闘いたければZERO-1のリングでいつでも闘え」と、ド・ストレートに三沢秋山小川藤田に向かってラブコールを送って三沢にマイクを差し出したのが大失敗。
 三沢は甚だクールにぴしゃりとはねのけた。「お前の思うとおりにしねえよ、絶対!」振られた橋本は超満員の大観衆とカメラの前で半泣きの如き淋しそうな表情あらわにフリーズ。
 首を傾げながら憮然とした表情で控室へと引き上げていく三沢の背中に向かって叫んだ。
 「三沢! 思い通りにしてやるから覚えとけ!」


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