[ファイトクラブ]素晴らしき『プロレススーパースター列伝』ワールドへようこそ

[週刊ファイト5月20日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼ 素晴らしき『プロレススーパースター列伝』ワールドへようこそ
 by 安威川敏樹
・ドリー・ファンク・シニアはボクサーからレスラーになった!?
・スタン・ハンセンは高校卒業後にプロレスラーとなった!?
・アブドーラ・ザ・ブッチャーの師匠はガマ・オテナ!?
・アンドレ・ザ・ジャイアントは木こり出身!?
・ミル・マスカラスはウラウナ火山の鉱泉で骨折を治した!?
・タイガー・ジェット・シンは来日前から狂暴レスラーだった!?
・日本プロレスのクーデターを企てたのは猪木ではなく馬場だった!?
・カール・ゴッチが修行したのはスネーク・ホールだった!?
・リック・フレアーはバディ・ロジャースを『男の恥』と思っていた!?
・初代タイガーマスクは、メキシコではミスター・カンフーだった!?
・ハルク・ホーガンは猪木vs.アリを見てレスラーになろうと思った!?
・ブルーザー・ブロディはスタン・ハンセンと大学の同級生だった!?
・ザ・グレート・カブキは反・芳の里派だった!?
・ジャンボ鶴田編はどうなっていた!?


 先日、とある男性から、
「スタン・ハンセンって、子供の頃は凄い不良だったんですね」
といきなり言われた。
 ちなみに、この男性というのは、筆者が書いたコラムに登場する『30代男性のE助さん』
である。

▼『プロレス・ブーム』は本当か!? プロレス界と一般社会とのズレ

[ファイトクラブ]『プロレス・ブーム』は本当か!? プロレス界と一般社会とのズレ

 筆者は何のことか判らなかったが、よくよく話を聞いてみると、『30代男性のE助さん』は昔のプロレス漫画を読んだらしい。それで筆者はピンときた。
 そう、『30代男性のE助さん』は、あの不朽の名作プロレス漫画『プロレススーパースター列伝』を読んだのだ。原作は梶原一騎、作画は原田久仁信で、1980年代に週刊少年サンデー(小学館)で連載されていた。
 タイトル通り、実在するプロレスラーのドキュメンタリー漫画で、当時のプロレス大好き少年達は誰もが夢中になって読んでいたものだ。何を隠そう(何も隠していないが)筆者も『列伝』の大ファンで、未だに本棚には単行本(少年サンデー・コミックス)の全17巻が揃っている。
 何しろ、大好きなプロレスラー達の実話が赤裸々に綴られているのだ。夢中にならないわけがない。

 しかし、さすがにそこは梶原一騎ワールドで、大人になって読み返してみると「ウソばっかりやん!」と愕然としてしまった。おそらく、事実は2割程度で、あとの8割は文字通りウソ八百である。
 だが、2割の本当の話を混ぜてあるだけに、子供にとっては信憑性が抜群だったのだ。しかも、表紙には『協力:アントニオ猪木』と書かれており、実際に作中には『アントニオ猪木(談)』という猪木のコメントがあっただけに、誰もが本当の話だと思っていたのである。もっとも、本当に猪木がコメントしていたのかどうか怪しいが。

 それでも、筆者は騙されたとは思ってはいない。あれだけ楽しませてもらったのだ。感謝こそすれ、恨みに思うことは全くない。おそらく、当時のプロレス大好き少年達も同じ思いだろう。

 そこで、この漫画を知らない若い読者に『列伝』ワールドへご招待しよう。様々なプロレスラーの半生が綴られているが、漫画で描かれていることと、実際の出来事とのギャップを紹介する。もちろん『列伝』では、プロレスとは真剣勝負という前提で描かれているが(それでも『一部の実力なきショーマン派レスラー』は、相手に八百長を持ち掛けるシーンがたびたび登場する)、そこについてはツッコまない。
 なお、各項の冒頭に書いている『単行本』とは少年サンデー・コミックスのことだ。

ドリー・ファンク・シニアはボクサーからレスラーになった!?

①父の執念!ザ・ファンクス(単行本4~5巻)

『プロレススーパースター列伝』の記念すべき第1回は、当時日本で人気絶頂だったザ・ファンクスの物語だった。単にドリー・ファンク・ジュニア(以下:ドリー)とテリー・ファンク(以下:テリー)のザ・ファンクスの兄弟愛だけではなく、2人を育てた父親のドリー・ファンク・シニア(以下:シニア)に焦点を当てている。

 シニアは結婚し、ドリーとテリーの2人を授かって、遂に最強の王者“鉄人”ルー・テーズに挑戦する機会を与えられた。
 が、結果はテーズの必殺バック・ドロップの前に完敗。この惨敗では二度とテーズへの挑戦権を与えられないと悟ったシニアは、ドリーとテリーを鍛え上げ、テーズに勝てるレスラーにしてみせると心に誓う。
 シニアが負けた原因は、ウェート不足。軽量のシニアは、テーズのバック・ドロップにとって格好の餌食だった。この後、シニアは体重に関係ない大悪役に変身する。

 そもそも、シニアはプロレスラーではなく、プロボクサー志望だった。ヘビー級ボクサーを目指していたが、トレーナーからはウェート不足が指摘されていた。
 アマチュアの試合で、後にプロの世界ヘビー級チャンピオンとなるジム・ブラドッグの殺人パンチに顎を破壊され、ボクシングを諦めたシニアはパンチのないプロレスラーに転向する。

 というのが『列伝』に描かれているエピソードだが、実際にはシニアはボクシングを経験していない。しかし『アントニオ猪木(談)』では、反則パンチはシニアの主力武器だったとし、
「わたしも晩年のシニアのパンチをもらい、一瞬めまいをおこした体験がある」
とコメントしているが、あれは何だったのだろう?
 このあたりが、『アントニオ猪木(談)』のコメントは怪しい、と思う所以である。

【今回の迷言】
テリー・ファンク「お、おれの兄貴が世界一に!! それでキメ技は!? やあッ! パパが子供の頃から俺たちに仕込んでくれたファンク式スピニング・トーホールドか!」

スタン・ハンセンは高校卒業後にプロレスラーとなった!?

②首折り魔!スタン・ハンセン(単行本2巻)

 次の登場はザ・ファンクスの弟子であるスタン・ハンセン。ブルーノ・サンマルチノの首を折ったのは当然のことながらウエスタン・ラリアートによるものということになっているが、その点については今回は触れない。

 冒頭に書いた『30代男性のE助さん』による『ハンセンの少年時代は凄い不良』というのは、この回に描かれているエピソードだ。
 少年時代、毎日のようにケンカに明け暮れていたハンセンは、その腕っぷしを活かして高校卒業後に地元のプロモーターの元へプロレスラーになりたいと志願する。
 最初はプロモーターに相手にされなかったハンセンだが、ドラム缶を抱え潰して、そのパワーを認められてプロレスラーになった。

 しかし、本当はハンセンが大卒なのは周知の通り。ウエスト・テキサス州立大学を卒業したハンセンは、プロ・フットボールの世界に入ったものの、レギュラーにはなれず断念。次に目指したのはなんと、不良とは正反対の職業である教師だった。
 だが、教師の給料はあまりにも安かったため、大学の先輩であるザ・ファンクスの勧めもありプロレスラーになったのである。

【今回の迷言】
ブルーザー・ブロディ「きさまかッ? テキサスで名をあげた首折り技のスタン・ハンセンてえのは!?」
※若手時代のスタン・ハンセンとブルーザー・ブロディがシングル対決した時のセリフ。この回ではハンセンは高卒なので、当然のことながら2人は初対面。ちなみブロディとはシングルで対決したことはない、と実際のハンセンは語っていた。

アブドーラ・ザ・ブッチャーの師匠はガマ・オテナ!?

③地獄突きがいく!ザ・ブッチャー(単行本1~2巻)

 週刊誌の連載では3番目だが、単行本としては最初に登場するのがアブドーラ・ザ・ブッチャー。当時のブッチャー人気が窺い知れる。

 若手時代のブッチャーは全く売れないレスラーで、ドサ回り同然で香港へ遠征した。売れないのは運がないだけで実力には自信があったブッチャーだったが、コンフー(カンフーのことだが、この回ではコンフーと表記)出身レスラーのキム・ウオンに惨敗を喫してしまう。
 コンフーの強さを実感したブッチャーはキム・ウオンから、シンガポールにいるガマ・オテナが俺の師匠だ、と聞き出した。

 シンガポールでは3歳の子供でも知っているというガマ・オテナの元へブッチャーは出向き、厳しい修行を積んでコンフー殺法、そして地獄突きを教わった。
 アメリカのプロレス界に戻ったブッチャーは地獄突きとコンフー殺法により、多くのプロレスラーを血の海へ沈めることになる。

 というストーリーだが、実際のブッチャーはカンフーの修行なんてしていないし、そもそもガマ・オテナって誰!? とブッチャーは漫才コンビ『見取り図』の盛山のように、思い出した頃にツッコむだろう。それでも作中では『ガマ・オテナは大山倍達と20年来の親友』と堂々と書いている。しかし『シンガポールでは3歳の子供でも知っている』という割には、誰もその存在を知らない。
 ついでに言えば、キム・ウオンって誰!?

【今回の迷言】
アブドーラ・ザ・ブッチャー「ま……まったくガマ・オテナ先生は達人! 至れり尽くせりの教えだぜ!」

アンドレ・ザ・ジャイアントは木こり出身!?

④世紀の大巨人!A・ザ・ジャイアント(単行本6巻)

 アンドレ・ザ・ジャイアントがフランスにいた頃、プロレスラーになる前は木こりをしていた。『15人力』と言われ、1人で10人分以上の仕事をしてしまう。
 アンドレの仕事ぶりを見て驚いた金持ち男性は、友人のプロモーターにアンドレのことを話す。プロモーターはアンドレに木こりの10倍の収入を保証し、アンドレはパリのプロレス界にデビュー。圧倒的な力で連戦連勝したアンドレには、もう相手になるレスラーがいなかった。
『アントニオ猪木(談)』で猪木は、
「昔から、木こり出身の名レスラーが多いのは、やはり腕、足、腰と全身を使い、鍛えられているせいだ」
とコメントしている。

 だが、アンドレが木こり出身ではないことは、今ではよく知られていることだろう。実際のアンドレは、レスラーになる前は会社勤めをしていたが、木こり出身というのは日本で信じられていた。
 ちなみに『列伝』では、ハルク・ホーガン編でもアンドレは木こり出身になっている。

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