[ファイトクラブ]『プロレス・ブーム』は本当か!? プロレス界と一般社会とのズレ

[週刊ファイト5月13日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼ 『プロレス・ブーム』は本当か!? プロレス界と一般社会とのズレ
 by 安威川敏樹
・働き盛りの男性から相手にされないプロレス
・ アンチ・プロレスがいない現在は、プロレス界にとって幸福か!?
・1990年代のプロレスを楽しむ30代サラリーマン
・影響は計り知れなく大きかった、地上波ゴールデン・タイム
・書籍数でいえば、プロレスは間違いなくメジャー・スポーツ


 戦後、テレビ時代の幕開けと共に、日本のプロレス界は発展していった。力道山の時代からジャイアント馬場&アントニオ猪木のBI砲、1980年代のプロレス黄金時代に、1990年代はテレビのゴールデン・タイムから撤退したもののドーム球場をフルハウスにさせる時代、21世紀に入り厳冬の時代となった2000年代から、2010年代にはプロレス人気がV字回復したと言われ現在に至っている。
『プ女子』なる言葉が生まれ、最近では「形変えるぞ」「飛ぶぞ」などの『長州語』が流行語となり、テレビやネットを賑わせているのを見ると、プロレス人気が復活したというのも間違いではないかも知れない。しかし、本当に『プロレス・ブーム再燃!』と言われるほどのものなのか、というといささか疑問だ。

 筆者は生活環境が変わり、新たな出会いがあった。と言っても、30代以上の大人ばかりだが、彼らにプロレスに関することを訊いてみたのである。
 世間にはどの程度プロレスが浸透しているのか、本当にプロレス・ブームなのか。

働き盛りの男性から相手にされないプロレス

 まず登場するのは、30代男性のA夫さん。A夫さんはラグビーをはじめスポーツはそこそこ見るそうだが、プロレスについては全く知らない、ということだった。
 A夫さんのプロレスに関する知識というのはほとんどなく、知っているプロレスラーの名前もアントニオ猪木ぐらい。今のレスラーの名前など全然知らないそうである。

 次に登場は、40代男性のB太さん。B太さんのご子息は野球をやっているそうなので野球には詳しいが、やはりプロレスに関してはほとんど知らないという。
 40代なら、まだプロレスが人気だった頃の時代を知っていそうなものだが、B太さんの青春時代にはプロレス中継は既にゴールデン・タイムから撤退していた。いくらプロレスがドーム球場を満員にしていたと言っても、一般人がプロレスを目にする機会は激減していたのである。

 1990年代に出版された、あるプロレス本に書かれていたのは、
「プロレス番組がゴールデン・タイムから撤退したのは、決してプロレス人気が低下したからではない。夜8時といえば、ご老人が『水戸黄門』を見ているような時間帯。こんな時間帯に、プロレスを放送しても、多数のプロレス・ファンを占める一般サラリーマンは残業のため帰宅できず、見ることはできないので、若者にとっては深夜帯の方がプロレス中継を見やすくなった」
ということだった。

 そうだとすれば、多くの若者たちが見ていた『ミュージックステーション(Mステ)』はどうなるのだろう。当時『Mステ』を放送していたのは金曜夜8時、テレビ朝日系列だった。
 金曜夜8時のテレ朝といえば、『ワールドプロレスリング』の代名詞的時間帯。それが『Mステ』に乗っ取られたのである。そして『Mステ』は、35年経った現在でもゴールデン・タイムで続いている長寿番組となった(現在の放送時間は金曜夜9時から9時54分まで)。

 それなのに「プロレス番組が深夜帯に移行したのは、プロレス人気が低迷したからではない」などと言い切ったプロレス・ライターの、なんとノー天気なことか。平成時代に突入した1990年代、プロレスはドーム球場を満杯にしたものの、一般人がプロレスを目にする機会は激減したのである。
 その理由は、プロレス中継がゴールデン・タイムから撤退したからに他ならない。プロレス番組が深夜帯に移行したのは、別に若者のライフ・スタイルに合わせたからではなく、単にプロレス番組の視聴率が低下したからだ。
 若者のライフ・スタイルにテレビが合わせるのなら、『Mステ』だって深夜帯に移行しなければおかしい。しかし、『Mステ』は若者に支持されながら、35年間もずっとゴールデン・タイムを守ってきたではないか。
「プロレス番組がゴールデン・タイムから撤退したからと言って、プロレス人気は低下していない」などというのは、プロレス・ライターの奢り(あるいは願望?)だ。そもそも『ワールドプロレスリング』がゴールデン・タイムから撤退した後の放送時間は、土曜日の夕方4時だった。この時間帯こそ、若者たちが遊びに出掛ける時間ではないか。こんな時間帯にプロレス番組を見ているのは、単なるプロレス・オタクだけである。

 また、金曜夜8時というのは絶好の時間帯だった。翌日は土曜日で、当時の土曜日は半ドン(半日休暇の意味で、学校の授業や会社の仕事は午前中のみ)だったため、金曜日はウキウキする曜日というだけではなく、翌日の学校や職場ではプロレスの話題で盛り上がる。
 そんな好条件の金曜夜8時から撤退したのは、『ワールドプロレスリング』にとって大打撃だったはずだ。金曜夜8時から撤退した『ワールドプロレスリング』は、ゴールデン・タイムを守ったものの火曜から月曜へと放浪の旅を余儀なくされ、事実上の昭和最後の年となった1988年4月から土曜日夕方4時台の放送となった。この時を最後に、テレビ・プロレスは死んだのである。

 そして、今のプロレスラーなんて知らないと言っている現在の30代、40代の男性が、20年以上も前に引退したアントニオ猪木の名前は知っているのだ。これもやはり、ゴールデン・タイムでのプロレス放送の影響が大きいのだろう。

▼金曜夜8時の影響からか、現在でも知名度抜群のアントニオ猪木

アンチ・プロレスがいない現在は、プロレス界にとって幸福か!?

 意外な反応を見せたのが、50代女性のC美さんだった。およそプロレスには興味がないように見えたC美さんは、ミル・マスカラスを知っていたのである。
 さらにC美さんはタイガー・ジェット・シンも知っており、それだけではなくアブドーラ・ザ・ブッチャーがテリー・ファンクにフォーク攻撃をした時には、恐怖で震えたと語っていた。それだけではなく、C美さんの同僚である30代女性のD子さんも、なんとタイガー・ジェット・シンの名前は知っていたという。

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