小橋・武藤・蝶野が四天王vs.三銃士を熱弁!『ボクらの時代』

 4月11日(日)、フジテレビの日曜朝の番組『ボクらの時代』に小橋建太、武藤敬司、蝶野正洋が出演した。(元)プロレスラー3人が、地上波全国ネットに登場である。

 小橋は全日本プロレスの四天王、武藤と蝶野は新日本プロレスの闘魂三銃士として、1990年代のマット界を席巻した。この頃のプロレス番組はゴールデン・タイムから撤退していたとはいえ、東京ドームには超満員の観客を集め、プロレス界は活況を呈していたのである。
 しかし、当時の全日本プロレスと新日本プロレスは交流などほとんどない時代。そのため、ファンにとって「四天王と三銃士が闘えば、どんな試合になる?」というのが最大のテーマだった。

 妥協なきファイトだった小橋、天才の名を欲しいままにしていた武藤、テクニシャンながらヒールもこなした蝶野と、まさしく三者三様。20世紀最後のプロレス界の主役だった3人は、どんなトークを繰り広げるのか?

入門当時、ジャイアント馬場から嫌われていた!? 小橋建太

 今回のホスト役は、最も年下の小橋建太(54歳)。しかし、完全に引退しているのは小橋だけで、蝶野正洋(57歳)はセミ・リタイア、最も年上の武藤敬司(58歳)が現役のチャンピオンだ。
 蝶野が「なんで俺ら2人を選んでくれたの?」と小橋に訊くと、武藤は「今(呼ぶべきレスラー)は長州力だよ」と言う。
 しかし小橋は「長州さんは世代が上じゃないですか」と、世代的に同じの武藤と蝶野を呼んだ理由を明かした。この世代でトーク・バトルをやりたかった、と。

 3人の中で、小橋だけが全日本プロレス出身。武藤と蝶野は同じ日に新日本プロレスに入門した。闘魂三銃士のもう一人、故・橋本真也はその前日に入門したと蝶野は語る。
 武藤は「その頃に入門した選手は片親とか多くて、橋本なんて両親がいねえんだから。そこでハングリー精神が培われていたという。蝶野だけ違うんだよ。蝶野は究極のボンボンで、(蝶野の)お父さんが亡くなった時は、経済新聞に記事が載ったんだよ。蝶野が生まれたのも海外だからね」と、蝶野の恵まれた家庭環境を明かした。

▼実は『ええしのボンボン』だった!? 蝶野正洋

 武藤は小橋に「なぜ新日本プロレスではなく、全日本プロレスを選んだのか?」と質問。小橋は、ジャンボ鶴田vs.ミル・マスカラスをテレビで見てからプロレスが好きになったからだと言う。
 蝶野は「今、キャリアを積んで見ると、昔の全日本プロレスってプロレスの定義の中でやってて、いい試合をしてるんだよね。俺が高校生だった頃の素人の目で見たときは、そこが判らないから(全日本の試合は)ノラリクラリに見えて、新日本の方がスポーティーに映って、(全日本の)駆け引きがテレビから伝わらなかったんだよね」と語った。つまり、客を惹き付けたのは、新日本プロレスの総帥であるアントニオ猪木のプロレスだった、と。
 武藤も「猪木さんがやっていたのは、プロレスの応用編だよな」と言う。

 話は、小橋が入門当時にジャイアント馬場の付き人をやっていた頃に言及。小橋の前の付き人は、馬場に気に入られていたそうだ。
 小橋が馬場に「今日から付き人になります。よろしくお願いします」と挨拶すると、馬場は「誰が言ったんだ! お前を付き人にするなんて、俺は一言も言っていない!! 俺はお前を認めない! 帰れ!!」と一喝されたという。そして、デビューするまで馬場に全く口を聞いてもらえなかったらしい。
 小橋というと、馬場から可愛がられていたというイメージがあるが、そんな時代もあったのだ。しかし、デビューした日に小橋は馬場に呼ばれ、「よう頑張ったな」と言われて、全てが洗い流されたという。

▼実はジャイアント馬場から嫌われていた!? 小橋建太

プロレスラーはみんな、世間からズレてる!?

 武藤が新日本プロレス時代の新人の頃を語る。大宮スケートセンターでのこと、武藤と橋本が練習終了後に、冷えているビールを見つけて、先輩に「呑んでもいいですか?」と訊くと、その先輩はイタズラで「大丈夫だから呑め!」と言って、本当に武藤と橋本がビールを呑んだら、他の先輩からこっぴどく叱られたという。
 小橋が「新弟子がビールを呑んで試合するなんて凄いですね」と言うと、武藤は「しきたりが判らないじゃん」と言い訳をした。常識で考えれば判りそうなものだが……。

 蝶野は「武藤さんはおかしかったもん。それを見て、橋本選手だとか、元々持っていたおかしなものが体現された」と言うと、武藤は「俺はまともだけどね」と言う。
 しかし小橋は「思っているのは自分だけですよ。みんなズレてます、絶対」と断言。要するに、プロレスラーはみんな世間からズレているのだ。その中でも、蝶野は「武藤さんが一番ズレてると思う。俺ら(蝶野と小橋)が1ズレてるとすると、武藤さんは3ズレてますよ」と言った。

 話は3人の結婚観に移る。結婚に関しても三者三様。武藤は蝶野の中学校時代の同級生と結婚、蝶野は外国人女性と結婚、小橋は43歳で演歌歌手と結婚と、みんなバラバラだ。
 武藤が若かった頃(つまり髪の毛がフサフサだった頃)、女性ファンを独り占めしていた。しかし、ファン・ツアーの直後に武藤が結婚発表したので、女性ファンは泣きじゃくっていたという。
 マーケットを考えた場合、女性ファンは非常に重要だ。武藤は、その件に関して実感している。
 蝶野は「韓流ブームに向いている女性ファンを、プロレスに取り込まなければならない」と語った。

 ただ、武藤の悩みは、還暦近い自分がチャンピオンだということだ。それだと、今の若者は「プロレスって、生涯できるスポーツじゃん」と思ってしまう恐れがある。
 しかし蝶野は、「俺らの世代は(武藤が王者ということで)勇気をもらう」と語った。これこそが、プロレス界が抱えるジレンマである。

▼還暦近い自分がチャンピオンでいいのか? と悩む武藤敬司

プロレスラーは、いつまでプロレスラーなのか!?

 3人は、プロレスラーがバラエティー番組に出る是非について語る。武藤は「タレントと比べられたら俺ら(プロレスラー)は太刀打ちできないもん」と悩みを打ち明けた。しかし、蝶野は「(バラエティー番組に出ても)プロレスラーとしての意地はある」と言う。

 蝶野が凄いと思うのは、長州力と天龍源一郎だ。2人はプロレスラー時代のキャラを完全に断ち切って、イジられキャラを平気でやっている。
 武藤は「長州さんとかは、今も闘ってるよな」と語った。過去じゃなくて、今をチャレンジしている、と。
 形は違うが、蝶野は救命活動を、小橋は自身の癌経験を元に癌に関する啓発運動をしているのだ。私事で恐縮だが、筆者の姪は高校生の時に癌を発症したので(現在は完治)、癌は決して他人事ではない。

 話は、武藤が戴冠したGHCヘビー級タイトル・マッチに言及。相手は小橋の弟子である潮崎豪だったので、解説をしていた小橋は複雑な気持ちだったと語った。
「複雑じゃねえじゃん。潮崎の応援しかしてなかっただろ。俺、聞こえてたもん。リングの上で」と武藤は小橋に文句を言った。さらに、天龍もゲストに来ていたが「天龍さんの声も聞こえてたけど、何を言っているのか判らなかった」とも。そりゃ、判るわけがない。

 武藤は、今でもプロレスをやっている理由を「健康のためにやっている」と語った。「俺は根が怠け者だからさあ、試合がないと暴飲暴食をするし、試合が組まれていれば嫌々でも練習する」と言う。その『いい加減さ』が、永年プロレスをやってきた秘訣だろうか。
 そんな武藤を蝶野は「金がかかんなかったら体を動かさないもん。でも練習とか試合に関しては凄いストイック」と評した。

 健康面でいえば、三銃士の中の橋本真也、四天王の中の三沢光晴は若くしてこの世を去った。蝶野は「三沢社長の事故の時、怖くなったもんね。原因は、社長業で、営業もやらなきゃいけない、現場でトップ(メイン・エベントやセミ・ファイナル)をやらなきゃいけない、一番やらなきゃならない自分の管理ができないままリングに上がり続けた」と分析する。ある意味、それは橋本も同じだった。一レスラーでは考えられない、ストレスがあったのだろう。

 最後に武藤は「小橋、試合しようよ」と誘った。しかし、小橋は丁重に断る。「次のステージがあるから」と小橋は言うが、武藤は「次のステージって、何?」と畳みかける。
 武藤と小橋は、共にムーンサルト・プレスを得意技としており、そのため膝はガタカタだった。それにより、2人とも人工関節を埋め込んでいる。
 それでも、武藤はプロレスに拘る。武藤は「プロレス以上に情熱が沸いてくる仕事って、ないもん」と語った。

やはりプロレスラーは、生涯プロレスラーということか。

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