[週刊ファイト3月25日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼蒙古怪人ゴーマンゴーリキ継承の歴史
by 猫山文楽拳
・小沢正志はいかにして蒙古怪人に変容を遂げたのか
・民族ギミック蒙古怪人の位置付け
・検証・グレート・オーカーン、ハシフ・カーン直系説
いまからおよそ20年ほど前になるがプロレスファンの知人とキラー・カーンさんがやっているお店に行ってみた。
その店は新宿駅をコマ劇場方面に歩いて行って、路地を入った雑居ビルのなかにあった。
平日の夕方ということもあり客は私たちしかいなかったので、店主のキラー・カーンさんに一杯すすめて、とりとめもなくプロレスの話を振ってみたところ、酒の力か生来のきさくさか、なんでもニコニコ答えてくれるものだから、調子づいた私はとんでもなくくだらないことを聞いてみた。
「小沢さんはモンゴルに実際行ってみたことあるんですか?」
愚問極まりない質問にもカンさんはこの日は幸いご機嫌さんだったらしく笑顔で答えてくれた。
「モンゴル?行ったことなんかあるわけないよー、モンゴルが世界地図でどれかもわからないんだからさ」
モンゴル人ギミックがプロレス界でブームになり始めたのは60年代と言われている。
1964年に渡米して武者修行中のアントニオ猪木がカナダ人のモンゴル人ギミックレスラーの「モンゴリアン・ストンパー」(アーチ・ゴルディ)とアジア人タッグを組んで大暴れしたという記録がある。
その後漢民族もモンゴル民族もまったく区別がついていないカナダ人レスラーの手により徐々に進化発展を遂げ口ひげ、弁髪のいでたちが定着する。
1973年には新日本プロレスに青い目のモンゴル人ギミックレスラーが上陸、アントニオ猪木と戦っている。(ジート・モンゴル、ボロ・モンゴル…のちのマスクド・スーパースター)
日本人のモンゴル人ギミックレスラーの元祖と言えば新潟県出身の小沢正志。
メキシコ修行中にプロレスの神様カール・ゴッチに「キラー・カーン」のリングネームを授かりアメリカ本土ジョージアとニューヨークで悪名を轟かせたのち新日本プロレスに凱旋帰国ならぬ逆上陸を果たしたのが昭和56年3月のビッグ・ファイト・シリーズだった。