[週刊ファイト3月4日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼秘蔵写真で綴る浪速のアントニオ猪木part5【1968年5・16Fブラッシー】
by 藤井敏之
・当日のチケットには準決勝と記載されていたが・・・大阪決勝戦
・吸血鬼ブラッシー、密林王タイラー、大阪府立体育会館満杯
・翌日東京、G馬場はキラー・コワルスキーを破り見事3連覇
・控室での日本側の祝杯風景、師弟関係カール・ゴッチも二人を祝う
・貴重控室写真:キラー・コワルスキーとジェス・オルテガ
1959年の春、力道山が下火になってきたプロレス人気にもう一度火をおこそうと企画したプロレスの祭典ワールド大リーグ戦。超一流のレスラーを各国から網羅し、リーグ戦でその年の優勝者を決めるという企画は日本全国に再び爆発的な人気を呼び、再びプロレスが日本に定着した。
そのワールド大リーグ戦は10回目の記念大会を迎え、これまでにリーグ戦で活躍した実績のあるレスラーを集めるという主旨から過去のリーグ戦1位者である3人、ジェス・オルテガ<第1回>、キラー・コワルスキー<第5回>、フレッド・ブラッシー<第7回>を主軸とした豪華な外人勢に加え、日本陣営も前年に日本プロレスに復帰したアントニオ猪木が加わった事で充実し、優勝戦線も混とんとする面白さが出てきた。
当日の組合せ なお、当日のチケットには準決勝と記載されていたが・・・
そんな中、リーグ戦の優勝戦は珍しく西のメイン会場である大阪府立体育会館<1968年5月17日>での開催が決まり、おまけに2日連戦の開催となりその初戦においては<5月16日>、リーグ戦中でのインタータッグ選手権試合が行われる事が発表された。
今回の貴重な写真は16日のインタータッグ・タイトルマッチである。
挑戦者チームは“噛みつき魔”フレッド・ブラッシーと“密林王”ターザン・タイラーのベテランの凶悪コンビである。ブラッシーは昭和37年春の力道山との死闘ではショック死事件まで引き起こし、歯をヤスリで研ぐデモンストレーションは有名である。
一方のタイラーは1964年2月24日、テキサス州ヒューストンで手錠事件※を起こし悪名を全米に轟かせた。また、インタータッグ王座においては前年のビル・ワットを相棒にして馬場&吉村組から奪取したが、馬場&猪木のBI砲(初戴冠)に奪い返されたという因縁がある。
※ジョン・ポール・へニング戦での反則負けの裁定を不服とした暴行事件
ブラッシーのパフォーマンス 密林王ターザン・タイラー 試合前のアントニオ猪木
当日、大阪府立体育会館はプロレスブームに乗り超満員札止め(主催者発表9300人)の観客で湧く。
試合は1本目、外人組の反則攻撃のオンパレードを、日本組も受けてたち大乱撃戦が場外乱闘にまでもつれ、両者リングアウトのドローで1本ずつ分け合う(15分45秒)。2本目もタイラーの凶器攻撃が馬場を襲い、猪木は援軍に入り場外でタイラーの首を電話コードで絞めあげる。その後、猪木とブラッシーが乱闘する中、リングに戻った馬場がタイラーを脳天チョップから32文ドロップキックで粉砕した(3分13秒)。BIコンビの完勝でファンは大喜びで二人を讃えた。
華やかな入場式の様子(日本チーム)
当時の満員の様子が写真からうかがえる
まさに黄金時代のBI砲 凶悪チームの雄姿
アントニオ猪木の得意のコブラツイストが決まる!
ブラッシーの噛つき攻撃 猪木の水平打ち
スリーパー・ホールド ストンピングが炸裂 ナックルパートで攻める
翌日、馬場はキラー・コワルスキーを破り見事3連覇を成した。控室で祝杯する日本陣営とカール・ゴッチ。猪木にとっては届かぬエースの座であるが、その目は来年のワールドを既に照準に定めていた。その鍵は日本プロレスのコーチとして来日していたカール・ゴッチであり、ゴッチに憧れ尊敬している猪木は、メインエベンターにもかかわらず彼のコーチを受け、新たな新技を開発しようと日々鍛錬していた努力の賜物として猪木時代は開花してゆくのである。
控室での日本側の祝杯風景
カール・ゴッチも二人を祝う
仲良く二人でデモンストレーション
若獅子と呼ばれた頃のアントニオ猪木 師弟関係(猪木とゴッチ)
キラー・コワルスキーとジェス・オルテガ