[ファイトクラブ]秘蔵写真でみる浪速のアントニオ猪木part3(1970年2・26Dynamic)

[週刊ファイト2月11日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼秘蔵写真でみる浪速のアントニオ猪木part3(1970年2・26Dynamic)
 by 藤井敏之
・日本プロレスボボ・ブラジル、フリッツ・フォン・エリック投入
・ペッパー・マーチンは猪木と太平洋岸地区部タッグ選手権を保持
・当日の大阪は観衆8000人を飲み込みほぼ満員
・“超獣”ブルーザー・ブロデイに大きく影響を与えたカーティス・イアウケア
・貴重写真の数々放出!大阪での猪木神話の原点のひとつ


 前門の虎“黒い魔神”ボボ・ブラジル台風が過ぎ去り、後門の狼として“鉄の爪”フリッツ・フォン・エリックの来日が日本プロレス協会より発表された。同時にダイナミック・シリーズの日程並びにタイトル・マッチ会場も明らかになったのだが、今回の大阪大会には特別出場であるエリック(特別シリーズ:ダイナミック&鉄の爪合同シリーズ)の名前がなく翌日の大会からの参加だと知りガッカリした覚えが蘇る。

当日のデザインの良いパンフレット      特別参加のフリッツ・フォン・エリックの紹介

 今回のメイン会場は3月3日名古屋でのインター・ナショナル選手権試合、王者ジャイアント馬場対挑戦者フリッツ・フォン・エリック戦である。かろうじて大阪大会においてはアジア・タッグ選手権保持者アントニオ猪木&吉村道明組に、プリンス・イヤウケア&ペッパー・マーチン組が挑戦する事が決まった。
 やはり昇り調子のアントニオ猪木のメインの試合故、当然行く事に決めた。当時はまだ、猪木信者なる言葉はありませんでした。ちなみに今回公開するこの大阪大会の写真は、非常に珍しい記録として残っていたのである。

 挑戦者チームである、ハワイの巨象のプリンス・イヤイケアは1960年に初来日、いきなり力道山のインターナショナルタイトルに挑戦、善戦しその名を日本プロレスファンに刻み込んだ。そして1968年の3度目の来日においては、馬場のインターナショナルタイトルにも挑戦、敗れはしたが来日する度に力を付けてきた強豪である。また相棒のペッパー・マーチンは1965年の12月に初来日した時はタイトルコンデンターにはなれなかったが、今度こそはと意欲を燃やしていた。猪木がリトル・トーキョーと名乗りロス地区で活躍していた時、二人でタッグを組み太平洋岸地区部タッグ選手権を保持していた間柄でもある。

プリンス・イヤウケアとペッパー・マーチン組     サインをするマーチン

イヤウケアの雄姿                エキサイトする大阪の観客

当時からアントニオ猪木の人気は絶大であった

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