[ファイトクラブ]ダニー・ホッジさん追悼文 ジャンボ鶴田戦で見せた脅威的なスタミナに馬場さんもビックリ!

2013年5月、地元オクラホマのHouse of Representativesで80歳の老人がリンゴ潰しを披露

[週刊ファイト1月14日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼ダニー・ホッジさん追悼文
 ジャンボ鶴田戦で見せた脅威的なスタミナに馬場さんもビックリ!
 by 井上譲二
・ダニー・ホッジという強豪レスラーの経歴を知り2度驚いた
・とりわけグラウンドの攻防は「これぞストロングスタイル!」と言える内容
・ところで、ダニー・ホッジさんと言えば1月
・ニックネームは鳥人より超人の方がピタッと当てはまったと思う


 昨年12月24日に死去(享年88)したダニー・ホッジさんは、1960年代にルー・テーズ、カール・ゴッチと並んで、“世界最強”と言われた強豪。日本では片手でリンゴを握り潰すパフォーマンスがクローズアップされがちだったが、彼こそリアル・アスリートであるとともに真の実力派レスラーでもあった。


1969年1月11日、大阪府立体育会館入りするダニー・ホッジ

 マツダ快挙! 日本人初のNWA王者誕生!!

 1964年11月、米フロリダ州タンパで行われたNWA世界ジュニア・ヘビー級戦、王者ダニー・ホッジvs.ヒロ・マツダでの王者交代劇。当時、自宅から最寄りの駅(国鉄)にあるキヨスクで東京スポーツを買うことが日課になっていた中学生の私にとって、同紙の1面に躍った前記の見出しはあまりにも衝撃的だった。

 それと同時にダニー・ホッジという強豪レスラーの経歴を知り2度驚いたことをよく覚えている。

 56年メルボルン五輪のレスリング・フリースタイル重量級で銀メダリストに輝いただけでなく、翌57年にはアマチュア・ボクシングの最高権威『ゴールデン・グローブ』にも優勝。ジュニア選手でありながらルー・テーズと互角に闘ったというプロフィールである。


カール・ゴッチとルー・テーズ

 私に限らず、この記事を読んでホッジさんの初来日を心待ちにしたファンは多かったと思う。

 で、ホッジさんの日本マット初参戦が実現したのは、それから2年1ヵ月後の67年1月。参加したのはシニセ団体の日本プロレスではなく、アントニオ猪木ら東京プロレスの残党も出場した国際プロレスの『パイオニア・シリーズ』だった(※編注 猪木のメンツを考え表向きは国際プロ&東京プロ合同興行と発表)。


ダニー・ホッジとヒロ・マツダの名勝負数え唄

 当時の興行規模としては異例の大阪府立2連戦(開幕戦)も開催され、ホッジさんはその初日に宿敵のマツダと対戦。軽量級同士の試合だけに迫力感はなかったが、日本マットに直輸入されたジュニア最強対決は技術面で超ハイレベル。とりわけグラウンドの攻防は「これぞストロングスタイル!」と言える内容で私はリングから目が離せなかった。

▼貴重写真とともに鳥人・ダニー・ホッジ氏を偲んで・・・

[ファイトクラブ]貴重写真とともに鳥人・ダニー・ホッジ氏を偲んで・・・


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