[ファイトクラブ]貴重写真とともに鳥人・ダニー・ホッジ氏を偲んで・・・

[週刊ファイト1月14日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼貴重写真とともに鳥人・ダニー・ホッジ氏を偲んで・・・
 by 藤井敏之
・国際プロ東京プロ合同『パイオニアシリーズ』67年1・5ヒロ・マツダ戦
・1・10福岡九電記念体育館のマツダ再戦は45分3本勝負0-1ドロー
・フロリダ地区のビッグ・ボスであるエデイ・グラハムと一緒の初来日
・3度目来日!ウイルバー・シュナイダーとBI砲からインタータッグ奪取
・NWA王者ドリー初来日!大阪府立体育会館の控室でトランプの希少絵
・リンゴを圧力で握り潰すパフォーマンスなのにクローを使わない理由
・キレたら怖いホッジ伝説!対ビル・ロビンソン戦UWFスネークピット
・高山善廣が元気だった2005年10月15日のガチンコ試合スパーリング
・晩年CAC等OB会マスカラス、殺人医師、Jブリスコ、デスト写真も・・・


 年末に海の向こうからダニー・ホッジさんが御亡くなりになったという悲しいニュースが舞い込んできた。オクラホマ大学でアマレスのエースとして活躍、その後、52年のヘルシンキ、56年のメルボルンのオリンピックで銀メダリストに輝く。また、57年からはヘビー級のアマ・ボクサーとしてゴールデン・グローブ・ヘビー級王者にも君臨。その後はレロイ・マクガークの勧めでプロレス入り、あっという間に60年7月22日にアンジエロ・サボルデイを破りNWA世界ジュニアヘビー級王者となり、転落、奪還を繰り返したが通算12年5カ月という長期政権を維持する。NWAジュニアの象徴的王者として君臨しつづけた。
 アメリカのマット界では、ルー・テーズ、カール・ゴッチ、そしてダニー・ホッジを世界三強に挙げた程の実力者。その王者が初めて日本に来日したのが昭和42年の1月、老舗の日本プロレスでは無く、激震に揺れる国際プロレスと東京プロレスの合同興行による国際プロレス旗上げ「パイオニア・シリーズ」に参戦だった。

国際プロ東京プロ合同『パイオニアシリーズ』67年1・5ヒロ・マツダ戦

 いきなり開幕戦の大阪府立体育館において自らのNWA世界ジュニアヘビー級王者を賭けてアメリカでの好適手であるヒロ・マツダと対戦したのである。日本デビュー戦はお互いが持っている秘技を駆使しての攻防を展開し、60分ノーフォールの引き分けに終わった。
 この日の観客は7300人(=主催者発表)を集客、はたして二人の高度なレスリングスタイルの攻防は当時の観客にどのように映ったのだろうか。尚、このシリーズでは東京プロレスのアントニオ猪木とはタッグではぶつかったがシングル・マッチは実現していない。その日の試合写真とドレシングルームでの貴重な写真が残っている。

トー・ホールドでヒロ・マツダの足を攻める

足と腕を同時に攻める複合技

コブラツイストでマツダ締めあげる

サーフボード・ストレッチ

マチュア仕込みの足への攻めが厳しい

控室でのプッシュアップ

1・10福岡九電記念体育館のマツダ再戦は45分3本勝負0-1ドロー
宿命のライバル=ヒロ・マツダに巴投げを決められ吹っ飛ぶダニー・ホッジ。

1967年1月10日 東京プロレス・国際プロレス合同興行 福岡九電記念体育館での45分ドロー!
ヒロ・マツダ 1-0(45分3本勝負時間切れ)ダニー・ホッジ

リングサイド撮影と、望遠撮影が両方残っているのは珍しいがこちらは蔵前のであろう。

WeRemember 1966年のアントニオ猪木 君は東プロ時代の猪木を見たか!!

フロリダ地区のビッグ・ボスであるエデイ・グラハム氏と一緒の初来日

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