[ファイトクラブ]没後8年・・・ミスター・ゴング竹内氏の正体を暴く!

写真左から新間寿氏・ジョージ・ナポリターノ氏、竹内宏介氏、井上譲二氏(04年に撮影)
[週刊ファイト12月31日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼没後8年・・・ミスター・ゴング竹内氏の正体を暴く!
 by 井上譲二
・とにかく、『ゴング』ほど団体関係者から好かれた媒体はなかった
・『ゴング』の方は折り目やホコリが付かないように大切に保存するファンも多かった
・竹内氏にはジャイアント馬場夫妻と新間氏以外にもう1人、強力な後ろ盾がいた
・竹内氏には、ただ1つ常に怯えていることがあった


 元『週刊ファイト』編集長・井上義啓氏が他界した14年前の06年12月、もう1人、偉大なプロレス・ジャーナリストが病に倒れた。帰宅途中の電車の中で脳梗塞を発症し、そのまま寝たきりになってしまった元『週刊ゴング』編集長・竹内宏介氏である。2人とも優秀な編集者だったが、プロレス団体との折衝や人付き合いがヘタな井上氏とは対照的に竹内氏は処世術にも長けていた。以下、元『ファイト』記者(私、井上譲二)が暴くミスター・ゴングこと竹内宏介氏の正体。


1978年11月27日『マスカラス・フェス』高田馬場BIG BOXでの、マスカラスFC「エル・アミーゴ」の清水勉会長と、当時ゴング編集長時代の在りし日の笑顔の竹内宏介氏


 極端な話、『週刊ファイト』やターザン山本氏が編集長を務めていた頃の『週刊プロレス』は敵だらけだったが、『ゴング』に関して言えば月刊、週刊時代を通して敵は皆無に等しかった。

 力道山時代からチョウチン記事、宣伝記事が当たり前になっているプロレス界だけに、超ベビーフェースの『ゴング』にしても団体広報や選手からクレームをつけられることはあったものの、長い歴史の中、その回数は『ファイト』と比べたら数百分の1だろう。とにかく、『ゴング』ほど団体関係者から好かれた媒体はなかった。

 私はそのことを羨ましいと思ったことは1度もなかったが、団体と良好な関係を保ちながら本が売れ会社の経営を維持できるのなら、それに越したことはない。取材拒否に怯えることもないし担当記者が会場などで気分良く取材できるというメリットもあるからだ。

 その『ゴング』を発行する『日本スポーツ出版社』が自社ビルを建てるまでに成長した最大の要因は、68年に『ベースボール・マガジン社』から移籍した竹内宏介氏の編集センスと処世術である。

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(C)日本スポーツ出版社

 客観的に見て、『ゴング』は月刊誌時代から見栄えがする試合写真と斬新なレイアウトで古い体裁にこだわる『プロレス』の表紙とカラーグラビアを圧倒していた。

「美し過ぎるプロレス専門誌」と言えばホメ過ぎかもしれないが、当時、『ゴング』と『プロレス』の2誌を買って、『ゴング』の方は折り目やホコリが付かないように大切に保存するファンも多かった。

 普通、新聞はもちろん、雑誌も読み終えたらゴミ箱に捨てるもの。この常識を覆したのが竹内氏であった。

 一方で竹内氏は各団体に対し外交官的な役割りも果たしていた。とりわけ首脳陣には下手に出て、ひたすら相手の機嫌を損なわないように振る舞う。しかも、頼み事は二つ返事で引き受ける。「あれじゃ八方美人を通り越して御用聞きだよ」と揶揄するマスコミ関係者もいたが、団体上位で自分や会社にとって都合の良いマスコミしか厚遇しないプロレス界において、竹内氏の生き方は間違っていなかったと思う。

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魂のプロレス仕事人よ永遠に!竹内宏介さん追悼+菊池孝さん 著者”飛龍革命”

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