[ファイトクラブ]Leona「世間に届くレスラー目指して」!藤波怜於南インタビュー濃厚編

[週刊ファイト10月1日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼Leona「世間に届くレスラー目指して」!藤波怜於南インタビュー濃厚編
 by タダシ☆タナカ
・幼稚園通学の際カバンに専門誌!漢字ドリル帖の代わりになった
・ゴルフに熱中したのは本当の話!2012年藤波40周年でついに直訴
・2013年11・19ドラディション船木誠勝戦でデビュー!ロイ・ウッド氏も
・丸藤正道に0点評価!ノアjrタッグリーグ戦最中に大怪我長期欠場へ
・「貴方がspecialなんじゃない特別なのは辰巳」の教えと藤波家の食卓
・空中殺法も!満足してないスタイルは変えていく。変化を忘れていない
・新宿BEAMS猪木ジャパン展と強くなりたい、チャンピオンになりたい!
・藤波辰爾50周年に向け引けを取らない世間に届くレスラーになりたい


 お借りした写真、自前の試合写真などからどれをトップ画像にしようかと悩んだが、これが一番インパクトがあった。さて、私は誰でしょうか?
 藤波怜於南は1993年生まれの27歳。以降はリングネームに従いLeonaとするが、藤波辰爾&伽織家の長男であり、ドラディションの若きエースということになろう。特に近日に、参戦する大きな大会が控えているわけではない。ただ、そんなコロナ禍期間だからこそ、これまでの平坦ではなかった歩みをじっくり聞いてみることにした。

 なにしろ幼稚園の頃からプロレスに親しんでおり、通学の際のカバンに専門誌を入れて持ち歩いていたという。だから早くに覚えたのが「前哨戦」という、パソコン時代になって記者でも咄嗟には漢字書けない難しい用語が目に飛び込んできて、親に教えてもらい納得したというから凄い。漢字ドリルで覚えるよりそっちで覚えたんだそうだ。

 

 初観戦というか、1998年4月4日 『アントニオ猪木引退試合』の東京ドームに母親にだっこされて潜入。この日のセミがIWGPヘビー級選手権試合であり、藤波辰爾にとって最後のジャーマンを決めて佐々木健介に勝利する姿を遠くから眺めて、不思議な感覚だったという。
 中学一年生になると、なぜか日にちは覚えていて7月31日の新日の会場、ちょうど棚橋弘至や中邑真輔が台頭してきた頃、より印象は強烈だったと語る。但し、プロレスだけの少年ではなかった。家にカートゥーンネットワークのチャンネルがあったから一番はまったのは今もそうだがディズニーだそう。映画『トイ・ストーリー』は主人公と同世代ということで感激だったようだ。また、ケーブル局が入る視聴環境ということで、J-sportsにも早くから馴染んでおり、当時WWFのショーン・マイケルズが好きだったというから、必ずしも新日一筋というわけでもなかった。

 中学3年になると、いよいよ「プロレスラーになりたい」の念が強くなり、意を決して話した時が出来すぎというか、ちょうどサムライTVが再放送で6月12日に大阪城ホールで行われた藤波辰巳(当時)と前田日明の試合である。ニールキックで大流血してしまうまさにその時であり、「これをやりたいのか」と言われてしまい涙が出てきたそうだ。悔しい思い出だと話す。

 立教大学に入学。記者は別媒体の仕事で藤波辰爾インタビューをしているが、ちょうどその頃、橋本真也さんの息子・橋本大地が出てきたこともあり、当然話は息子さんのことになったものの、「いや、ゴルフ部に入った」と、いかにもタイプが違うかのような口ぶりだったのだが・・・。

ゴルフに熱中したのは本当の話!2012年藤波40周年でついに直訴

 ところが今回、ようやく前後の事情が呑み込めたというか、本人提供の写真にある通り、姉が今もゴルフやっているそうで、Leonaも幼少の頃からずっとゴルフに親しんでいた経緯があったのだ。中学校ではゴルフに熱中、「結果を出せ」と言われた通り賞もとっている。となれば次の質問は、大学生となればプロレスのサークルもあっただろうに、そっちに興味はなかったのかとぶつけてみたが・・・あっさりと「学生プロレスだとかえって遠回りになる」とのこと。なるほど、ある意味ではしっかりしていたのかも知れない。
 ゴルフやるならそこで成績を残せとは言われていたそうで、実際、そこそこの記録は出していたのだ。ただ、記者が藤波辰爾に話を聞いた時の印象と違って、ゴルフ部はすぐに辞めてしまう。一年生になったばかりの2012年4月20日、ドラディションの大会で実力行使! いきなりのプロレスラー志願直訴を行ったからだ。

 この際の大会は本誌も取材しており、まだリングをまたいではいけないと、リング下からだったが「プロレスラーになりたい」と衝撃の告白をしている。

▼飛龍革命は終わらない!大好きなプロレスをやらせてください!4・20藤波辰爾40周年記念興行

飛龍革命は終わらない!大好きなプロレスをやらせてください!4・20藤波辰爾40周年記念興行

 藤波辰爾デビュー40周年ツアーの最後を飾る後楽園ホール大会、「ファンやマスコミという証人がいる前でやるしかなかった」とのことで、当然ながら藤波の返事は「保留」であり、それから1ヶ月くらいは家庭内が重苦しい空気のままだったという。また、その時から家で「お父さん」と呼ぶことを止めたそうだ。以降、父親にタメ口で話したことはないという。

 そこからは、夏休みになると伝説のビリー・ライレー・ジム後続にあたるロイ・ウッドの道場アスプル・オリンピック・レスリング・クラブに渡英するようになる。マンチェスターと言っても海があり、牧場が続く田舎の方のウィガンだ。同年10月からは、宮戸優光のスネークピッド・ジャパンでも修行するようになった。すでにビル・ロビンソンさんはアメリカに戻られていたが、亡くなる半年前に英国に里帰りされており、藤波辰爾も来ていたからロイ・ウッドさん交えて会食したという。ところが、次に渡英した際に、飛行機を降りて最初に知らされたのが「Bad Newsだ」であり、訃報を知ったそうだ。

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