[ファイトクラブ]井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第79回  小林邦昭 同時期にブレークした長州とは「腐れ縁」を通り越した特殊な関係

[週刊ファイト8月27日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第79回
 小林邦昭 同時期にブレークした長州とは「腐れ縁」を通り越した特殊な関係
・「我がプロレス人生に悔いなし」と言い切っている
・小林さんはこのチャンスを1発でモノにしている
・確かに小林さんにはそういう優しい面がある
・ファンに勇気を与えた数少ないレスラーである


 1982年の新日マットにおいて、ちょうど入団から10年目になる2人の男がブレークのキッカケを作り、その後、一気にランクアップしている。藤波辰爾に反旗を翻した長州力と、初代タイガーマスクにキバを剥いた小林邦昭である。ただ、66歳まで現役を続けレスラー人生を全うした長州に対し、2度目のガンを患った小林は、20年前の00年4月に44歳の若さで現役引退。それでも小林は「我がプロレス人生に悔いなし」と言い切っている。


 1972年10月に新日本プロレスに入団した小林邦昭さんは、後輩にあたる長州力、佐山聡、前田日明らと違ってスター候補ではなかった。それどころか前座レスラーのままレスラー人生を終える可能性すらあった。

 大人し過ぎる性格もさることながら、それ以上に食べまくってもなかなか太らない体質が出世の妨げになっていた。

 そんな小林さんの体形が徐々にレスラーらしくなったのは、入団から7、8年経ってから。大ブレーク中のタイガーマスクとのマッチメークというチャンスを与えられたのは10年目である。

 藤波、前田、佐山らのみならず、闘魂三銃士が売り出された時期と比べても確実に遅い。それだけ期待されていなかった証だが、小林さんはこのチャンスを1発でモノにしている。

 虎ハンターとして一気に脚光を浴び、タイガーマスクという好敵手を失ってからも新日プロや全日プロのジュニア戦線、さらに維新軍の一員として活躍したのは周知の通り。


新日マットで戦う小林邦昭とザ・コブラ(ジョージ高野)

 このように小林さんのレスラー人生に最も影響を与えた初代タイガーと長州だが、72年暮れに初めて挨拶を交わした長州との親交は「腐れ縁」を通り越して現在も続いている。

 2人をよく知る昔の関係者たちは必ずこう言う。

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