[ファイトクラブ]井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第74回 カルガリー空港での別れ際に橋本が言い放った言葉は・・・

[週刊ファイト7月9日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第74回
 カルガリー空港での別れ際に橋本が言い放った言葉は・・・
・みんなから愛されたレスラーでもあった
・6人の中で底抜けに明るかったのは橋本
・カルガリーでの取材から5年そこそこでスターダムにのし上がった
・武藤と共に大阪ドーム前での撮影に協力してくれた


 “破壊王”の異名をとった橋本真也さん(享年40)が急逝してから今年7月で丸15年。この間、彼のことが脳裏から離れた昔の仲間、ファンはほとんどいないはず。それくらい、みんなから愛されたレスラーでもあった。
 小川直也戦(99年1・4東京D)、第1次ZERO-ONE活動休止(04年11月25日)など一連の騒動については書き尽くされているので今回は破壊王の海外武者修行時代の思い出を振り返ってみた。

 私は年4、5回のペースで海外マットを取材していた80年代、カナダ・カルガリーにもよく足を運んだ。マイナーなテリトリーながらも新日プロの若手が同地区で武者修行を行っていたからだ。

 私が現地で取材した選手は、平田淳嗣、ヒロ斉藤、高野俊二、馳浩、新倉史祐、橋本真也の6人。自宅の地下室に下宿させたりプロモーター(スチュ・ハート氏)との交流を買って出るなど彼たちの世話をしていたカルガリー在住の日本人レスラー、ミスター・ヒト(安達勝治=故人)が非常にくだけた人柄だったので全員がノビノビした海外生活を送っていた。

 前記6人の中で底抜けに明るかったのは橋本で、「ここの環境がすごく気に入った。ギャラが高ければ引退するまでカルガリーに定着しますよ」と言っていた。

 しかし、橋本が現地で闘っていた87年当時、同地区の景気は平田、H・斉藤らがいた頃より落ち込んでおり、橋本の平均週給は300㌦(約3万円)程度。その少ない収入の中からヒトさんに下宿代を支払ったら手元には週150㌦くらいしか残らず、食べ盛りでもある橋本はかつて経験したことのない金欠状態に陥っていた。

 サーキットに同行中、彼の口グセは「あァ、腹減ったな」。取材1日目の晩メシは、帰宅後にヒトさんが作った親子丼で2日目はカレーライスだったという。

 人懐っこい橋本は、早朝の便にもかかわらずヒトさんと共にカルガリー空港で私を見送ってくれた。別れ際、私が「金の苦労も修行のうちだよ」と言うと彼は力強くこう言い放った。


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