[ファイトクラブ]井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第73回 菅林会長(新日プロ) まさに奇跡!かつて小僧扱いされた男がメジャー団体のトップに

トップ画像:提携団体CMLLの選手の表敬訪問を受ける菅林会長

[週刊ファイト6月25日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第73回
 菅林会長(新日プロ) まさに奇跡!かつて小僧扱いされた男がメジャー団体のトップに
・会長職もその発言力に関してはピンからキリまで
・私に言わせれば、これは奇跡に近い
・男の道楽を一切やらない菅林氏は、いわば真逆の営業マン
・会長職に就き会社のV字回復に大きく貢献している


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 会長職もその発言力に関してはピンからキリまでだが、菅林直樹会長(新日本プロレス=55)のそれは絶大。経営とマッチメーク以外の重要事項の大半が彼の判断に委ねられているといっても過言ではなく、7月の大阪城ホール2連戦を決定したのも菅林会長と見られている。だが、旧・新日プロのフロントおよび現場の中に今日の菅林氏を予測した者は1人もいなかった。

 私は『週刊ファイト』(新大阪新聞社)在籍時に6人の愛読者から「学校を卒業したらプロレス団体で働きたい。人事権を持つ幹部に口添えしてもらえないか?」という相談を受けている。

 私が頭を下げて頼めば1人か2人くらい斡旋できたかもしれないが、彼たちの将来を考えると「やめたほうが良い」と突っぱねるしかなかった。

 その最大の理由は一般企業と比べて会社としての寿命が短いこと。事実、相談を受けた時点(80年代~90年代)で30年以上、存続する男子団体は皆無。加えて、待遇、内紛、パワハラなどでほとんどの社員が辞めていることも反対した理由である。

 ところが、2020年6月現在、新日プロには勤続30年を越える社員が3人もいる。闘魂三銃士と同期(84年入社)の斉藤晴美氏と86年にアルバイト扱いで入った菅林直樹氏。もう1人は菅林氏より2、3年あとに入社した川名輝雄氏だ。

 私に言わせれば、これは奇跡に近い。

 この15年間にオーナーが2度代わってやり辛い面も多々あったはずだが、前記3人は今日まで頑張り続けた。

 何度も営業、渉外、リング屋などに異動されながら辞めなかった川名氏の打たれ強さも立派だが、プロレス団体の部署において最も厳しい環境の営業部に固定されてきた菅林氏の粘りはもっと凄い。

 旧・新日プロで営業部長を務めた上井文彦氏(04年に退社)からこんな苦労話を聞かされたことがある。


第1次UWF崩壊後に新日プロに出戻った上井文彦氏は営業部長に昇格。2000年代初めに渉外を兼任しパンクラスの尾崎允実氏(写真右)との提携にも踏み切った。


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記者座談会:新日プロ 大阪城ホール2連戦で“復活”を猛アピール!

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