[ファイトクラブ]56年前の五輪イヤー 日本プロレスが大危機に直面!

[週刊ファイト1月23日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼56年前の五輪イヤー 日本プロレスが大危機に直面!
 by 井上 譲二
・力道山急逝により「プロレス大危機」に直面
・2番目に頭を悩ませたのは、ブッカー(呼び屋)交代問題
・持ち上がったのが警視庁による日プロ潰しだ
・五輪イヤーとなった1964年の日本プロレス



64年12・4東京でのWWA世界ヘビー級王座挑戦でデストロイヤーに勝利した豊登

 2回目の東京オリンピックが開催される今年、新日本プロレスなどはしっかりした五輪対策を立てているが、前回(1964年)のとき、日本プロレスにそんな余裕はまったくなかった。前年12月の力道山急逝により「プロレス大危機」に直面したためだ。まさに剣が峰。日プロは、この大ピンチをどのように乗り切ったのか?

 “絶対エース”アントニオ猪木の政界進出→セミリタイアを機に旧・新日プロが本格的な複数スター制に切り換えたのは周知の通りだが、力道山時代は完全な単独エース制。マッチメーク上の扱いは豊登=2番手、吉村道明=3番手となっていても実質的には2人とも中堅選手より少しランクが上だっただけである。

 このため、国民的レスラーである力道山が急逝したとき、マスコミ、ファンの大半が「プロレスそのものがなくなるんじゃないか」という悲観的な見方をした。

 翌64年1月、豊登、吉村、芳の里、遠藤幸吉による新体制がスタートしたものの、突然、大黒柱を失った日本プロレスに明るい材料はなかった。

 まさに問題山積。その中で前出の日プロ幹部が最も懸念したのは『日本プロレス中継』(日テレ系)の打ち切りだ。

 大いに起こり得ることで、もし日本テレビに見放されたら日プロの存続はますます困難になる。


力道山急逝で日本プロレスがピンチに陥った。

▼WeRemember 1966年のアントニオ猪木 君は東プロ時代の猪木を見たか!!

WeRemember 1966年のアントニオ猪木 君は東プロ時代の猪木を見たか!!

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