[ファイトクラブ]井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第60回 未来日のスーパースター B・ロジャースに密着取材も・・・

79年11月米バージニア州でのバディ・ロジャース(トップ画像)
[週刊ファイト12月12日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第60回
 未来日のスーパースター B・ロジャースに密着取材も・・・
・ロジャースに対し私はどうしても聞けないことがひとつだけあった
・対面したロジャースの顔、体は想像以上に若々しい
・まず知りたかったのは、16年ぶりのリング復帰を決意した理由
・私はブレーキをかけてくれたアプター氏に感謝

 『週刊ファイト』で海外マットを担当していた私は、米国の試合会場で未来日のままプロレスのキャリアを終わらせたレジェンドたちにも出会う幸運に恵まれた。その筆頭格は何といってもバディ・ロジャースである。彼がNWA世界ヘビー級王座に君臨していた1962年、力道山の要請を受けたグレート東郷が超破格の条件を提示しても多忙を理由に日プロ参戦を断ったほどの当時のスーパースター。そんなロジャースに対し私はどうしても聞けないことがひとつだけあった。


WWEのホームページ(英語版)より

 1979年11月中旬、WWF(現WWE)の取材でニューヨークに滞在していた私の耳に衝撃的なニュースが飛び込んできた。

 63年5・17MSGにおいて、ブルーノ・サンマルチノにWWWF世界ヘビー級王座を明け渡したバディ・ロジャースが『ジム・クロケット・プロモーション』と契約・・・11月下旬にミッドアトランティック地区で現役復帰を果たすという情報だ。

 この仰天ニュースを伝えてくれたのは、米プロレス専門誌のベテラン記者、ビル・アプター氏。彼は驚いた様子の私に「一緒に行こう!」と誘ってくれた。もちろん、感謝の気持ちこそあれ断る理由はひとつもない。

 それから約1週間後、私たちはロジャースが復帰第1戦(顔見せ程度の6人タッグ)を行うバージニア州リッチモンドへ飛んだ。

 当時、ロジャースはすでに58歳。トシ相応に老け込んでいると思いきや、会場の控室で対面したロジャースの顔、体は想像以上に若々しい。オーラにしても「昔のまま」という印象を受けた。

 で、B・ロジャース特集を予定しているアプター氏が密着取材を打診すると、ロジャースは快諾。自宅のあるニュージャージー州カムデンから妻子と共に車(キャディラック)でやって来たというロジャースは、私たちにこう提案した。

 「旅は人数が多いほど楽しい。私の車には5人乗れるので一緒に移動しよう」

 私たちにとって非常にありがたい申し出なので彼の車に乗せてもらうことになった。

 とはいえ、取材のメインは2日後、同州ノーフォークで行われるネイチャーボーイ対決、B・ロジャースvs.R・フレアー戦。その翌日にはニューヨークに戻ってフィルム現像など入稿の準備に取り掛からなければならない。

 そうなると、ロジャースにゆっくり話を聞けるのは車の中に限られてくる。幸い、ロジャースは「(自分が)運転中でも、どんどん質問してもらっていいよ」と言ってくれた。

 私たちがまず知りたかったのは、16年ぶりのリング復帰を決意した理由。ロジャースはこう説明した。


82年11月WWFフィラデルフィア大会よりジミー・スヌーカと一緒に。

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