[週刊ファイト11月28日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第59回
佐山聡氏 タイガーマスクの電撃引退も暴露本も、どこ吹く風?
・事件、騒動が多発した1980年代の新日本プロレス
・佐山聡氏は、師匠のアントニオ猪木氏とは対照的に金銭欲、名誉欲ともにない人間
・自らスーパースターの座を放棄したことは当時、誰も理解できなかった
・佐山氏の変わったところは、自身の引退が大騒動になると思っていなかったこと
ザ・デストロイヤー追悼興行より初代タイガーマスクと新間寿氏
事件、騒動が多発した1980年代の新日本プロレス。山本小鉄氏らが猪木政権の転覆を図ろうとしたクーデター未遂騒動。選手の大量離脱、前田日明による長州力への顔面狙撃などいずれも衝撃的だったが、ファンにとって最もショッキングな出来事は初代タイガーマスクの電撃引退(83年8月)。その数ヶ月前、筆者はタイガー本人から、あることにすっかり嫌気が差していると打ち明かされていた。
初代タイガーマスクとして知名度の高い佐山聡氏は、師匠のアントニオ猪木氏とは対照的に金銭欲、名誉欲ともにない人間。私は、そのことが人気の絶頂期(83年8月)に現役引退を表明した一因と考えている。
欲のなさは61歳になった現在でも変わっていないようで、例えばテレビ局からの出演依頼を適当な理由を付けて断ることも少なくないという。小遣い稼ぎだけでなく宣伝にもなると考えるのが普通だが、彼にとって1番重要なことは関心があるか、ないか-その点に尽きる。
当然、新日プロ時代から現在のリアル・ジャパンに至るまで周囲の人たちは「もったいない」と思ってしまう。
タイガーマスクに変身させた仕掛人で現在もリアル・ジャパンを通じて佐山氏につながっている新間寿氏しかり。リングから遠ざかっていても伝説化したタイガーマスクの名前でまだまだ商売ができると考える新間氏は、マスコミに露出させる思惑もあって佐山氏を今年2月のG・馬場20周年追善興行や先のザ・デストロイヤー追悼興行に連れて行った。
しかし、佐山氏にしてみれば、馬場さん、デストロイヤーさんともまったく接点がなかった先輩ということもあって気が進まなかったのではないか?
お金、物に対する価値観や人生感がほかのレスラーと違っていた初代タイガー時代の佐山氏。あのままタイガーマスクを演じ続けていたら収入はウナギ上り・・・役員への昇格も時間の問題だった。すでに世帯も持っていたのだから自らスーパースターの座を放棄したことは当時、誰も理解できなかった。