写真説明:1993年、神戸・三宮にあるM・キーナート氏経営のラウンジで旧交を温めた時のデストロイヤーさんと荒川さん(写真左)
[週刊ファイト11月21日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼デストロイヤーさん 最後の来日で消息不明の友人との再会熱望も・・・
by 井上 譲二
・あらゆる日本人に対し常に神対応していたデストロイヤーさん
・プロ野球の助っ人・・・つまり外国人プレイヤーとよく飲みに出掛けていました
・あらかじめ建築材料や畳は日本から送り荒川さんは約1カ月、アクロンに滞在
・再会したデストロイヤーさんから意外な話を聞いたのです
今年3月7日に死去したザ・デストロイヤーさん(享年88)ほど日本人に最も長く親しまれ、愛された外国人レスラーはいない。11・15大田区総合体育館にて外国人選手としては異例の追悼興行が開催されるのはその証である。
あらゆる日本人に対し常に神対応していたデストロイヤーさんには日本全国に数多くの友人、知人がいたが、最後の来日(16年9月)で再会を熱望したのが「荒川さん」という人物。2人の間には本物の友情があった。
アントニオ猪木さんも非常に気さくで、マスコミやファンにとって接しやすいタイプのスーパースターだが、彼は有名人か社会的地位の高い人、あるいは自分にとってメリットがある人間としか付き合わない。まァ、猪木さんに限らずこれが普通ですよね。
その点、デストロイヤーさんは有名人から庶民まで友交関係の幅が広かった。
父親が2Aの野球選手で彼自身もベースボールのファンだったデストロイヤーさんは、プロ野球の助っ人・・・つまり外国人プレイヤーとよく飲みに出掛けていました。日本で出会った数多くの外国人選手の中で特に意気投合したのはチャーリー・マニエル(元ヤクルト・スワローズ)とランディ・バース(元阪神タイガース)で、レスラー引退後(93年8月)も2人と連絡を取り合っていた。
神戸にある外国人娯楽施設で旧交を温め合うデストロイヤーとランディ・バース(写真右端、井上記者)。
エッ、どこで知り合ったか? って。東北楽天ゴールデンイーグルスの初代GMで若い頃からプロ野球のビジネスに携わっていたマーティ・キーナート氏から紹介されたのです。
で、キーナート氏は日本におけるデストロイヤーさんの1番の親友。デストロイヤーさんにとって最後の来日となった16年9月にも、わざわざ仙台から日帰りで会いに来ていました。
70年代半ば、彼が『株式会社デサント』に勤めていた頃にデストロイヤーさんが大量のマスク(販売用)を同社に発注。それがキッカケでどんどん親しくなっていったようです。
さて、一般庶民とも親交があったデストロイヤーさん。その中の1人が兵庫県三田市で理髪店を営む「荒川さん」という人物。
見た目は普通のオジさんで、彼と話しているとプロレスそのものにはあまり興味がなさそうだった。
▼【電子書籍】追悼:ザ・デストロイヤー