[週刊ファイト9月26日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第57回
谷津、武藤、中邑・・・エース候補を晴れ舞台で潰し続けたA・猪木
・猪木自身の口から明かされない限りそれは憶測の域を出ない
・大金星が期待された谷津は逆に半殺しの目に遭わされ半失神
・猪木が武藤に延々と鉄拳制裁を加えて武藤の凱旋マッチをブチ壊してしまった
武藤敬司
IWGP決勝リーグ優勝戦での舌出し失神事件、小川直也による橋本真也へのセメント攻撃などA・猪木が関与する試合のナゾはいまだに完全解明されていない。したり顔で猪木の真意を語る“自称・事情通”もいるが、猪木自身の口から明かされない限りそれは憶測の域を出ないのだ。今号の連載では猪木がエース候補の大物ルーキーを彼らの晴れ舞台で潰し続けた真意を探ってみた。
猪木自身の口から明かされない限りそれは憶測の域を出ない。
馬場はジャンボ鶴田の足跡を振り返ればわかるように、全日プロ入団時に次期エースへの“手形”を渡し団体が敷いた超エリートコースを歩ませた。
一方の猪木は注目を集めるまでのお膳立てはするが、あとは自分の才能と努力でスターの座を掴み取れ! という突き放した方針を貫いた。
J・鶴田と同じミュンヘン五輪出場(72年)の長州力が準エースの藤波辰爾と肩を並べるまでに10年かかっていることでもこの方針は明らかだ。
日本アマレス重量級史上最強と言われ、80年モスクワ五輪の日本代表にもなった谷津嘉章しかり。
80年10月23日、都内の一流ホテルで行われた谷津の新日プロ入団会見には猪木社長、坂口征二副社長がそろって出席。「凄いヤツになれ!」(猪木)と谷津を激励した。
入団会見が異例なら谷津のデビュー戦は異例中の異例。新日マットでの前座試合を経験させず、約2カ月後にいきなりニューヨーク・MSGで初マットを踏ませたのだ。
谷津のMSGデビュー戦(J・エストラーダ戦)が発表されたとき、新日プロ担当記者たちはこぞってこう言った。
「ポスト猪木(次期エース)は藤波じゃなく谷津で決まり!」
さらに、日本デビュー戦(81年6月24日)も蔵前国技館大会のメイン。マッチメークも猪木&谷津VSS・ハンセン&A・ザ・ブッチャー戦というスーパーカードだ。
しかし、猪木のお膳立てはここまで。外国人最強コンビのハンセン&ブッチャーを相手に大金星が期待された谷津は逆に半殺しの目に遭わされ半失神。マイナスイメージを背負って再スタートを切ることになる。
そして、この予想外の試合内容についてマスコミの見方は2つに分れた。