[ファイトクラブ]記者座談会:半年前、猪木の元側近が本誌に明かした田鶴子夫人の病名は・・・

[週刊ファイト9月12日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼記者座談会
・入籍からわずか2年半で急逝。まだ若かっただけに余計に気の毒です
・名刺を交換した記者にしても彼女の名前を覚えていなかったくらい
・周りを見渡したら信頼できるのは田鶴子さんしかいなかった
・猪木さんの口から公表されない限り本当の死因は分かりません


 既報通り、アントニオ猪木氏の4人目の妻となる田鶴子さんが8月27日未明に死去。各スポーツ紙、ネット媒体などが故人の“素顔”を報じたが、本誌の名物コーナーである記者座談会では入籍まで発展していった経緯だけでなく、公表されていない部分にも触れてみた。

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(*編注 A=『マット界舞台裏』特約記者、B=スポーツ紙記者 C=フリーのべテラン記者)


橋本田鶴子さん

A 熟年カップルとは言え、田鶴子さんは入籍からわずか2年半で急逝。まだ若かっただけに余計に気の毒です。

B 彼女の年齢に関しては60歳説と62歳説の2つあって・・・。ただ、公人じゃないのでさほど重要ではないと思います。

C 最初に猪木さんと話した時期についても2つの説がありますが、これも今となっては重要じゃない。猪木さんの遠征先でカメラマンの田鶴子さんと顔を合わせていても、将来、猪木さんとそういう関係になるとは夢にも思ってないから我々(プロレス・メディア)は彼女の存在に無意識だったわけ。95年の北朝鮮イベントで名刺を交換した記者にしても彼女の名前を覚えていなかったくらいで。

A 猪木さんと急速に親しくなったのは、そのずっと後ですね?

C 90年代の終盤かな? 田鶴子さんが東京・六本木にスナックを開いて猪木さんが飲みに行くようになった。その頃に意気投合して友人関係になって、さらに後に猪木さんの仕事をサポートするようになった。

B マスコミが「橋本田鶴子」という名前を聞き始めたのは07年のIGF設立後ですよ。出資者の高橋仁志氏、新日プロから移籍した廣瀬拓氏、田鶴子さんの3人で会社を運営してましたが、当初の彼女の役割は猪木さんのテレビやCM、イベントへの出演交渉のみでした。そのことで廣瀬副社長と衝突して結局、廣瀬氏の方が退社。IGFの取締役に就任した田鶴子さんと猪木さんのただならぬ関係が取りざたされるようになったわけです。

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